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ラウル・ベック「マルクス・エンゲルス」:共産党宣言の執筆まで



ラウル・ベックの2017年の映画「マルクス・エンゲルス(Le jeune Karl Marx 独仏白合作)」は、マルクスとエンゲルスの若いころを描いた作品。原題に「若きカール・マルクス」とあるとおりマルクスが中心だが、エンゲルスにもかなりな役割が与えられている。1843年を起点に、1848年までの青春群像を描く。スタートの時点では、マルクスはライン新聞に扇動的な社会批判記事を書き、エンゲルスはマンチェスターにある父の工場の支配人である。その二人がパリで出会い、交流を深めながら、やがて「共産党宣言」を共同執筆するに到るまでの過程を描いている。

マルクスは、その過激さが災いしてドイツにいられなくなる。そこにルーゲが手を差し伸べ、フランスで独仏年誌を発行してマルクスに活躍の機会を与える。マルクスはドイツの青年ヘーゲル派を罵倒するかたわら、フランスの知識人プルードンには一目を置く。マルクスとエンゲルスが会ったのはパリのことで、二人はたちまち意気投合する。エンゲルスはマルクスの「ヘーゲル法哲学批判」を評価し、マルクスはエンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状態」を高く評価する。その二人は、共同で論文を執筆することになる。まず、青年ヘーゲル派を批判する「批判的批判の批判」を書くが、これは「新聖家族」のことである。これはマルクスが主役を務めたが、続く「ドイツイデオロギー」はエンゲルスが主役をつとめた。また、プルードンを批判した「哲学の貧困」はマルクスが単独で書いた。

フランスを追放されたマルクスは、妻子を伴ってベルギーに移る。そこで妻のイェニーが二人目の子を産む。マルクスは忙しい活動の合間に、妻に子をさずける責任も果たしていたのだ。一方エンゲルスのほうは、自分の工場の元工員で、社会主義思想になじんでいた女性を妻にする。

ベルギーから追い出されたマルクスはロンドンに移る。そこでは正義同盟と称する団体とかかわるが、それに限界を感じ、「共産主義者同盟」を結成する。かれが「共産党宣言」をエンゲルスと共同して書いたのは、この「共産主義者同盟」を「共産党」へと底上げするための宣言だったのであるが、くしくもヨーロッパには革命気分が盛り上がっており、「共産党宣言」はその革命気分に非常に大きなインパクトを与えた、というような内容である。

マルクスとエンゲルスの友情が表向きのテーマで、かれらの思想については立ち入った言及はない。ただ、かれらに対して同情的な雰囲気は伝わってくる。ラウル・ベックはハイチ生まれの黒人なので、白人のブルジョワ文化には批判的だった。その批判的な意識が、「批判的批判の批判」をこととするマルクスに、親近感を抱かせたのであろう




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