壺齋散人の 映画探検
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石井裕也の映画 生き方の下手な日本人を描く


石井裕也は、是枝裕和や小林政弘とともに、21世紀の日本の映画界にあって、日本社会の抱えるさまざまな問題に正面から向き合う作品を作ってきた。いまでは日本映画を代表する社会派の巨匠といってよい。かれの日本社会への批判は、主として格差社会のもつ非人間的な側面に向けられている。非人間的な社会現象にはいろいろあるわけで、是枝の場合には、格差社会の敗者を襲う貧困に焦点をあてながら、もっとも弱い立場にいる子供とか女性を主に取り上げていた。また、小林は社会にとって無用とみなされた老人に焦点をあてる作品を作った。それに対して石井裕也は、生き方が下手なために損な目にあってばかりいる日本人を、情緒たっぷりに描くという特徴がある。

石井裕也の映画に出てくる人間たちは、いずれも生き方が下手である。かれらが貧困に陥ったり、周囲から馬鹿にされたりするのは、生き方が下手なためであって、もうすこしうまく、つまり利口に振る舞っていれば、そこまでひどい目に合わずにすむのではないかと、感じさせもする。しかし彼らには、そんな生き方しかできないのであって、そんな生き方によってかれらが不利益をこうむるのは、なかばは自業自得なのかもしれない。だが、昔の日本では、生き方の下手な人間でもなんとか人間らしく生きていく可能性が開けていた。それは社会全体にある種の余裕のようなものがあって、そうした余裕が、出来損ないの人間をも包容していたのだ。ところが、格差が拡大するにともない、社会全体がとげとげしくなるにつれて、出来損ないの人間まで面倒をみる余裕が失われてきた。その余裕のなさが、もともと生き方の下手な人間を、ますます生きづらくさせている、そう石井裕也は考えているようである。

石井裕也の出世作は、2009年の映画「川の底からこんにちは」。これは、生き方が下手なために割の合わない目にばかりあっている女性が、家業のシジミ養殖を継ぐ話だ。あいかわらず要領が悪いので、仕事はなかなかうまくいかないが、自分の生き方には、下手ななりに満足している。彼女は下層国民といってよいのだが、自分では中の下だと思っている。自分を裏切った子連れの男を許し、かれと結婚することを決意するのは、中の下の人間には、高望みはできないと達観しているからだ。そんな彼女は、「川の底からこんにちは」と歌いながら、シジミのように地味な生き方に満足するのだ。

このように、スタートから生き方の下手な日本人を描いた石井裕也は、その後も、そうした人間を描き続けた。生き方の下手な人間を描くことは、今の日本では、格差社会の負け組を描くことにほぼ等しいから、彼の映画に出てくる日本人たちは、すべて負け犬のような人間といってよい。

そうした彼の作風は、近年ますます磨きがかかってきている。2020年の「生きちゃった」は、生き方な下手な人間でも、下手なりになんとなく生きているさまを描いたものだし、2021年の「茜色に焼かれる」は、生き方が下手なために徹底的にいじめられる母子を描いたものだ。こういう映画を見せられると、日本社会がいかに弱い者に酷薄な社会か、と思い知らされる。

やはり2021年の作品「アジアの天使」は、韓国を舞台にして、生き方の下手な日本人と生き方の下手な韓国人が、ひょんなことから旅の道連れになるというロード・ムーヴィーで、格差社会の国際的な広がりについて感じさせる作品である。

石井の映画には、生き方が下手ななりに前向きに生きている人間もある。「ハラがコレなんで」は、大きい腹をっかえて昔の長屋に戻ってきた女性が、建設的な人間関係をつくろうと頑張る話だし、「前田君の世界」には、生き方が下手なりに人から愛される少年が登場する。

ここではそんな石井裕也の代表作を取り上げ、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。


石井裕也「川の底からこんにちは」:下級国民としじみ

石井裕也「あぜ道のダンディ」 見栄っ張りな中年男の涙ぐましい生き方

石井裕也「ハラがコレなんで」 貧者の連帯

石井裕也「舟を編む」:辞書編纂

石井裕也「ぼくたちの家族」:家族の絆を再構築する

石井裕也「バンクーバーの朝日」:カナダへ移住した日本人の厳しい境遇

石井裕也「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」:希望がなくても愛は成立する

石井裕也「町田くんの世界」 誰からも愛される少年

石井裕也「生きちゃった」:生き方の下手な人間

石井裕也「茜色に焼かれる」:現代日本の負け組を描く

石井裕也「アジアの天使」:韓国を舞台とした日韓共同のロードムーヴィー




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