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グルジア映画「とうもろこしの島」:グルジアのアブハズ人



2017年の映画「とうもろこしの島」は、グルジア人によるグルジア映画であるが、グルジア人ではなく、アブハズ人の暮らしを描いている。アブハズ人は、グルジア国内の少数民族で、多数派のグルジア人とはたびたび紛争を起してきた。この映画は、そうした紛争を背景に、厳しい境遇を生きるアブハズ人の老人とその孫娘との懸命に生きる姿を描いている。実に感動的な映画である。

アブハズ人が多く住むアブハジアは、グルジアの西北のはずれ、ロシア国境に近く、黒海に面している小さな地方である。そのアブハジアとグルジアの境を流れる川の中州が映画の舞台だ。この川は毎年の大雨のたびに流路をかえ、そのたびに小さな中州が生まれる。ある年、新たに生まれたそうした中州に一人のアブハズ人の老人がやってきて、そこに粗末な家をたて、わずかな地面にとうもろこしの種をまく。そのとうもろこしの種が芽吹いてが実を実らせるまでの、およそ半年間が、映画のカバーする時間である。

老人は、船で中州にやってきて、そこに旗を立てて自分のものだと宣言する。このあたりでは、土地を耕すものがその土地の所有者になれるという慣例があるようなのだ。せいぜい二反分ほどの小さな土地だが、それでも生活の糧にはなる。

老人はその後、粗末な小屋を建て始める。船でどこからか材料や工具を運んできて、独力で小屋を建てるのだ。途中から孫娘が手伝いに加わる。この娘は両親が死んで、いまは老人が育てているのである。まだ初潮前の少女だ。老人は、この孫娘を一人前に育てるのが自分の使命だと考えている。かれの孫娘を見る目は慈愛に満ちている。

孫娘は、学校に通っていることになっており、そう頻繁に老人と一緒にいるわけではないが、老人と一緒にいるときは安心しきっている表情をしている。老人は寡黙で、ほとんど言葉を発しないが、気持は孫娘とつながっているのである。

アブハズ人とグルジア人との間で紛争が起こっており、境界にあたるこの中州には、アブハズの兵士のほかグルジアの兵士も船で巡回してくる。アブハズ側のほうが頻繁にやってくるから、おそらくこのあたりはアブハズが優勢なのだろう。

とうもろこしが実を結びそうになったときに、一人のグルジア人兵士が中州に紛れ込んでくる。大怪我をしている。その兵士を老人は、保護してやる。アブハズの兵士たちが巡回にやってきても、老人は兵士を差し出すことはしない。そんな兵士に、初潮を迎えたばかりの少女が興味を示す。それに対して老人は警告する。いくらなんでも、グルジア人の兵士に大事な孫娘をもてあそばれるわけにはいかないのだ。孫娘は兵士が好きになって、一緒に遊ぶのが楽しいのだが、祖父にさえぎられて断念する。

グルジア側の部隊もやってきて、傷ついたグルジア兵を見なかったかと問うが、それに対しても老人は、知らないと答える。かれはそうすることで、アブハズとグルジアの闘争に巻き込まれることなく、自分の良心だけに忠実であることができるのだった。

やがて大雨の季節がやってきて、中州は洪水に流されそうになる。老人は孫娘を船に乗せて、安全な場所に移動させ、自分は中州に残ってとうもろこしを守ろうとする。しかし洪水の勢いはすさまじく、中州は小屋ごと流されてしまうのだ。老人も巻き込んで。

大雨がやむと、川には別の新しい中州が生まれる。そこに船に乗った一人の男が現れ、土壌の状態を検分する。かつて、主人公の老人が行ったのと同じことだ。やがてこの男が、老人にかわって、この中州でとうもろこしを育てることになるだろう。

という具合に、アブハズの人達の厳しい境遇が叙情的に描かれる。老人を演じた俳優は、日本の勝新太郎に似た顔つきで、なかなか雰囲気がある。



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