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父、帰る:アンドレイ・スビャギンツェフ



2003年のロシア映画「父、帰る」は、思春期の息子と父親との難しい関係を描いたもので、ある種の教育的効果を感じさせる作品である。父と息子との関係は人類共通の難しさをもっているのではあるが、したがって完全に予定調和的な関係はありえないのだが、この映画の中の父子関係は、最初から最後まで破綻したままで、ついには教育者たるべき父が自滅してしまうのである。したがってこの映画は、失敗した父子関係を描いたといってよい。こういう関係がロシアでは珍しくないのか。日本人である筆者などは大きな違和感を抱きながら見た次第だ。

長らく不在だった父親が数年ぶりに帰って来る。二人の息子たちは、その父親に親愛な感情を抱けないでいる。無理もない、彼らがまだ幼い頃に父親はいなくなってしまったのだ。特に弟の方は、父親がいなくなった時にまだ赤ん坊で、父親の顔もまったく覚えていない。そんな彼らに向って、父親は父親らしく振舞おうとし、また息子どもに対しては、父親にふさわしい尊厳をささげるよう求めるのだ。

その父親が、現われた翌日に、二人の息子を連れてドライブに出かける。どこかで釣りでもしながら、久しぶりに父子水入らずで楽しもうというのだ。息子たちはおっかなびっくり父親に従う。しかし、それは楽しいばかりのドライブではなかった。それどころか緊張感に満ちたものだったのだ。

その理由は、父親が息子たちの軟弱性を憂えて、かれらをたたき直そうとする意志を持っているからだ。父親はことあるごとに息子たちに難題をふっかけ、尻込みする息子たちを叱咤する。そのスパルタぶりには、とくに弟のほうが激しく反発する。そんな息子に父親は厳しい態度を崩さない。

なぜ、久しぶりに再会したというのに、まだ互いの感情が完全に融和しないうちから、このように厳しい態度をとるのか。日本人にはそこがよくわからないところだ。日本人の父子関係は、親愛の情に基礎づけられているので、信頼感が完全に醸成されていないうちにスパルタ式で臨むと、あまり良い結果が得られないと考えられている。そういうわけであるから、この映画の中の父親のやり方はあまりにも常軌を逸していると思われる。

この父親にも、息子への慈愛に満ちた思いやりがないわけではない。その証拠に、下の息子が父親に反発して自滅的な行動をとったときに、父親は息子を保護しようとして無理な行動に走り、そのことで自分の命を失うほどなのだ。しかしそうした慈愛は、とくに息子に対しては悪い効果を及ぼすことが多いとこの父親は考えているらしい。表面上はあくまでもスパルタの厳父のような振舞いをするのだ。

こうした厳父像はいまの日本では受け入れられないが、ロシアでは理想化されているのかもしれない。ロシア人といえば、ゴーゴリやドストエフスキーの小説に出てくるようないくじなしの酔っ払いというイメージが強いが、この映画の中の父親のように、やわな感情を抑えて、厳しく息子をしつける厳父のイメージも持っているようだ。

この映画の中の父親は、結果として息子の教育に成功できないまま自分の命を落としてしまうわけだが、しかしかれのその厳父たらんとする意思は尊いものであった、というようなメッセージがこの映画からは伝わって来る。日本人のなかにもこういうスパルタ式厳父像にあこがれるものはいるので、そういう輩にとっては、この映画はノスタルジックに映るかもしれない。




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