壺齋散人の 映画探検
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ミッション:ローランド・ジョフィ



1986年のイギリス映画「ミッション(The Mission)」は、18世紀半ばごろの南米を舞台にして、原住民を相手に布教を行なうイエズス会の活動をからめながら、スペイン、ポルトガルの植民政策を強く批判した作品である。わざわざ歴史的な実話と断っているほどだから、この映画の作者が、スペイン人とポルトガル人に強い批判意識をもっていることがうかがえる。

その実話といわれる事態は、1750年前後にアルゼンチンとパラグアイ国境地帯で起こったという。それ以前にイエズス会の牧師たちがこの地に入り、原住民に布教活動を行っていた。ところがそれを迷惑に思う勢力があって、イエズス会の牧師たちは、原住民の信者たちとともに彼らに殺害されてしまう。つまり殉教したわけである。映画の題名のミッションとは、布教の使命という意味だが、かれらはその使命に殉教した。その殉教の意味を考えるのが、この映画の目的というわけであろう。

イエズス会に敵対していたのは、奴隷商人とその利害関係者たちだ。当時すでにスペインにおいては奴隷制度は廃止されていたが、ポルトガルでは行われていた。舞台となった地域は、イグアスの滝の周辺だが、そこはポルトガルとスペインの利害が入り乱れていて、帰属が明らかでなかった。イエズス会としては、スペインに帰属されて原住民が奴隷狩りにあう事態を防ぎたいと考えるのだが、ポルトガル人やスペインの奴隷商人たちは、ここをポルトガルに帰属させて、引き続き奴隷制度の持続を目論んでいる。

そういう力関係の中で、この地域はポルトガル領に編入されてしまう。そこで公然たる奴隷狩りを追求しようとするポルトガル軍と原住民のグアラニー族とが対立する。対立すると言っても、ポルトガル軍が、意に従わぬ原住民を一方的に虐殺するのであって、それにイエズス会の牧師たちも巻き込まれるのである。

こんなわけでこの映画は、イギリス人の人道的な立場からポルトガル人らの非人道的な行為を非難するというかたちに見えるが、そう単純に受け取るわけにもいなかいだろう。

南米の原住民がキリスト教を受け入れた原因は色々あるだろうが、もっとも大きいのは、キリスト教徒になることで、白人たちの理不尽な攻撃から免れようとする計算が働いていたと考えられる。中国では、清朝末期に治安が極端に乱れたさい、キリスト教に入信することで、欧米諸国の保護を期待した人々が多くいたといわれるが、それと同じようなことが南米でも起きていたことは考えられる。原住民は、キリスト教徒になることで、イエズス会とそのバックにいるスペインの保護は期待できた。しかしその居住区がポルトガル領になることで、奴隷商人たちの利害に押しまくられ、奴隷狩りの対象となってしまった。そこで思い余った彼らは、独立のための闘いに立ちあがる。しかし圧倒的な武力の前に、抵抗むなしく皆殺しにされてしまうのである。

この映画の作者であるイギリス人は、ポルトガル人のやり方を強く批判しているわけだが、自分たちの祖先は北米で何をしたか。よく反省してみるべきだろう。イギリスから北米にやってきた連中は、原住民をことごとく殺しつくし、奪った土地に、アフリカから連行してきた黒人を働かせて、莫大な富を築き上げたわけである。それに対して南米では、スペイン人やポルトガル人は、原住民を殺しつくすのではなく、奴隷として使役した。その結果、北米では、原住民はほとんど生存できなかったが、南米では膨大な人口を維持しているのである。もっとも、どちらがましか、それは一概にはいえないだろう。




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