壺齋散人の 映画探検
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ウィズネイルと僕:ブルース・ロビンソン



ブルース・ロビンソンの1987年の映画「ウィズネイルと僕(Withnail and I)」は、1060年代末におけるイギリスの青年の虚無的な生き方を描いている。1960年代は、ベトナム反戦運動が世界的に盛り上がったことなどに刺激され、若者による異議申し立てが社会を震撼させた。ウーマンリブや同性愛者の権利主張なども、この時代の雰囲気から生まれたものだ。しかし、1968年に世界中で若者の反乱が挫折して以降は、若者の間では、敗北主義的で冷笑的な雰囲気が支配するようになった。若者は社会に積極的にコミットすることを避けて、内向きで不機嫌になっていった。この映画は、そんな若者たちのうちでも、イギリスの若者を取り上げて描いたものだ。

イギリスは、フランスやドイツ、アメリカとは多少異なっており、若者の社会参加とか異議申し立てもそう派手ではないという印象を受ける。だからこの映画に出てくる青年たちの虚無的な姿勢は、イギリス特有のものであって、ほかの国の若者とはあまりかかわりがないと言えなくもないが、やはり世界的な時代の流れは、イギリスの若者といえども感じ取っていたに違いないのだ。

この映画に出てくる二人の若者は、ほとんど社会からドロップアウトしている。一応、二人とも舞台役者を目指しているようだが、大した才能があるわけではなく、自分たちの未来に希望が持てないでいる。もう三十歳になるというのに、宿なし同然の暮らしをしているのだ。

そんなかれらの周囲には、麻薬の常習者とか、同性愛の老人とか、かわった人間たちがあらわれるが、かれらはそんな人物たちと打ち解けあうことはない。二人だけの世界を楽しんでいるふうなのである。だからといって、ゲイなのではない。ときおりウィズネイルが僕と一緒に寝たがるが、それは同性愛行為が目的ではなく、一人で寝るのが不安なのだ。

そんな二人が気晴らしのために、ウィズネイルの叔父が所有する田舎の別荘で休暇を楽しむ。その別荘は何もない建物で、二人は食い物や暖房に苦労する始末。そのうちウィズネイルの叔父がやってきて、僕に色目を使う。ものにするつもりなのだ。そのけのない僕は、叔父の色目に脅威を感じる。そんなわけで二人は早々に別荘を引き払い、ロンドンに戻ってくる。しかしアパートからの退去を迫られ、寝場所もない始末なのだ。

こんなわけで、行き場のない中で右往左往する若者たちの日常が淡々と描かれる。その彼らの生き方が、68年世代の共感を呼んで、この映画は欧米ではカルト的な人気を集めたそうだ。




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