壺齋散人の 映画探検
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ジョン・フォード「シャイアン」:アメリカ原住民の苦境



ジョン・フォードの1964年の映画「シャイアン(Cheyenne Autumn)」は、いわゆるインディアンもの西部劇の集大成といってよいような作品。フォードは、「駅馬車」など初期の作品では原住民をインディアンと呼んで、悪と決めつけ、かれらを殺すことに何ら良心の痛みを感じなかったのだったが、次第にその考えを改め、白人による原住民への虐待に疑惑の目を向けるようになる。騎兵隊三部作には、そうした批判的な視線をうかがわせるものがあったが、この「シャイアン」において、批判が原住民への同情にかわり、かれらもまた白人と同じ人間なのだとする視点が前面に出ている。インディアンを悪人としてとらえるステレオタイプは、1960年代まではまだ根強かった。そうしたステロタイプをつきくずしていく上で、フォードのこの映画も一定の役割を果たしたといえるのではないか。

1878年に、アメリカ政府は原住民を指定した居住地に移住させて監視する政策を実施した。その際に、一年後に政策を見直すための話し合いをすることを約束していた。移住させられたシャイアン族の原住民は、居住条件の劣悪さのために、1000人だった人口が286人位まで減るありさまだった。そこで彼らは、約束通り政策を見直してほしいと願うのだが、白人政府がその願いを無視する。追い詰められたシャイアン族は、故郷のイェローストーンを目指して強硬に移動する決断をする。

リチャード・ウィドマーク演じる監視部隊の隊長は、ひそかに愛を寄せる女性の影響もあって、原住民の境遇に同情的であったが、職務柄、無断で居住地を離れたインディアンを追跡する使命を果たさねばならない。そこで監視部隊とシャイアン族の間で戦いが始まるのである。闘いといっても、白人とシャイアン族の力関係は非対称的であるので、シャイアンが殲滅されるだけのことである。場合によっては、シャイアン族の皆殺しに発展してもおかしくなかった。だが、そこはウィドマークの超人的な努力によって、無用な虐殺が避けられたということになっている。ウィドマークはインディアン対策を所管する政府の長官に直談判し、シャイアン族を苦境から救い出すのである。その長官を、渋い演技で知られるエドワード・G・ロビンソンが演じている。

こんな具合にこの映画は、白人と原住民との平和共存をテーマにしたものと言える。だが、その原住民のインディアンを、原住民ではなく白人に演じさせているところがこの映画のキズである。かつては、黒人を演じるのに、わざわざ肌を黒く塗りたくった白人をつかったことがあった。そういう細工は実に見苦しいと言わざるをえない。もっともフォードの場合には、原住民を使いたくても、適当な人間が見つからなかったのかもしれない。白人たちがかれらのほとんどを殺しつくしていたからである。




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