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ウィリアム・ワイラー「黄昏」:熱烈な恋の結末



ウィリアム・ワイラーの1952年の映画「黄昏(Carrie)」は、ワイラーには珍しく、単純なメロドラマである。不如意な生き方をしている初老の男と、世間知らずの田舎娘が熱烈な恋に陥り、不幸な結末にいたるというような内容で、いまどきの目の肥えた観客には、荒唐無稽な作り物のように見えるだろう。

田舎娘のキャリー(ジェニファー・ジョーンズ)が、都会の生活にあこがれて、姉を頼ってシカゴに出てくる。彼女には強烈な結婚願望があって、ぜひいい男を見つけて結婚したいと考えている。そんな彼女を、たまたまシカゴ行きの列車の中で知り合った男が食い物にする。彼女は、結婚の当てがはずれて焦っているところに、初老ではあるがハンサムな男ハーストウッド(ローレンス・オリヴィエ)に出会い、たちまち恋心を抱く。ハーストウッドも彼女に一目ぼれする。かれは妻との関係が破綻しており、人生をやり直したいと思っていたのだ。そこに若くて美しいキャリーが現れたので、年甲斐もなく恋に夢中になる。そのあげく、会社の金を盗んで、彼女を伴ってニューヨークへ高飛びするのだ。

ところが、会社を経営する妻の父親や妻の意向によって、ハーストウッドは追いつめられる。刑務所に入れられることは免れたものの、社会的に葬られ、仕事を得ることができない状態に陥るのだ。アメリカ社会には、私的な制裁のシステムが発達しているようで、社会の掟を破ったものは、徹底的に排除される、ということが伝わってくるのである。

一方キャリーは、たまたま演劇のオーディションに応募したところ、合格して女優への道を歩むようになる。そんな二人が別れてしまうのは、互いに相手に対する遠慮があったからだ。だが、別れた後も二人は互いのことを思っている。キャリーはなんとか出世街道に乗る見込みがたったものの、ハーストウッドのほうは完全に落ちぶれてホームレスの境遇に陥る。かれは飢えに迫られ、ほかに選択の余地がなくて、キャリーに小銭を無心しに行く。変わり果てたハーストウッドを見たキャリーは、おぞましく思うどころか、かれへの愛がよみがえるのを感じるのだ。しかしハーストウッドのほうは、キャリーの重荷になる気持ちはなく、彼女の前から姿をけす。その姿には、死の決意がみなぎっている、というような内容だ。

だいたい、いくら世間知らずとはいえ、年のいかぬ娘が自分の父親ほどの年齢の男に恋をするというのが不自然だ。じっさいにあり得ても、映画のテーマにはふさわしいとはいえない。その娘が初老の男に惚れるのは、彼女の強烈な結婚願望のせいだというふうになっているが、いくら結婚願望が強くても、アンバランスな恋であることは間違いない。




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