壺齋散人の 映画探検
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武器よさらば:ヘミングウェーの映画化



「武器よさらば」をヘミングウェーが書いたのは1929年で、その三年後に映画化された。原作の小説も映画もどちらも大きな反響を呼んだ。その小説を筆者が読んだのは20代の終わりのことだったが、深刻な影響を受けた。というのは、この小説は至る所に主人公の俄か軍人が酒を飲むシーンが出てきて、それがいかにもスマートな飲みぶりなので、あたかも洒落た酒の飲み方こそがこの小説のテーマだと思わせられたものだ。これがきっかけで、それまで飲酒習慣のなかった筆者は自他共に認める酒飲みになってしまった。

そんなわけで、この小説は筆者にとっては、酒についての印象ばかりが強く、筋書きの詳細はすっかり忘れてしまっていたのだが、今回映画を見て、これはずいぶん原作とは雰囲気が違うなという印象を持った。原作同様酒を飲むシーンは出てくるが、それが映画の魅力にはなっていない。また、主人公が恋人の出産を待つ間、不安な気持ちに駆られながらワインを飲むラストシーンは、ホット・コーヒーを飲むシーンに変えられている。これでは酒にこだわった原作の雰囲気は台無しだと思われるほどだ。

映画が酒に代わってこだわっているのは、若い男女の性愛だ。とくにセックスにこだわっている。この二人、ゲーリー・クーパーとヘレン・ヘイズは出会ったその日のうちにセックスするし、軍隊のなかで簡易結婚式をした日にも結婚記念のセックスを楽しむ。また、互いの仕事の都合で久しぶりに再会すると、早速セックスをする。それも女のほうから「二人で罪を犯したい」といって徴発するといった具合だ。つまり、この映画では、酒ではなくセックスが、物語の展開に色を添えているわけである。

といっても1929年のことであるから、露骨なセックス描写はない。それとなくほのめかされるだけだ。その辺は時代を感じさせられる。

この小説がヘミングウェーの個人的な体験をもとにしていることはよく知られている。ヘミングウェーと言えば、スペイン内戦にかかわったことで筋金入りのマッチョな男としてのイメージが確立しているが、第一次大戦中にはイタリア戦線に従軍してもいる。当時まだ10代の少年だったヘミングウェーは、赤十字に志願して、イタリア戦線で実際の戦争を経験した。その経験を小説にしたのがこの「武器よさらば」なのである。したがってこの小説の主人公はヘミングウェーの分身と言ってよいのだが、そうだとすればまだ10代の少年がしょっちゅう酒を飲んだり、看護婦とセックスを楽しんだりしているのが不自然にも見えてくる。おそらくヘミングウェーは大人になったあとの自分を10代の少年である自分に投影して、この小説の主人公を造形したのだと思う。

原作では主人公の体格は明らかではないが、映画ではゲーリー・クーパーが長身で筋骨隆々たる青年として登場する。まだ若々しい彼は身体のエネルギーに満ちあふれており、当然性欲も盛んにちがいない。その彼が夢中になった看護婦は、小柄でまるで子どものような体つきだ。つまり大男が少女を相手にセックスを楽しむといった風情が伝わってくるわけである。だから見ている方としては、少女が大男に強姦されているのではないかと錯覚させられる場面もある。

主人公はアメリカ人であり、恋人の看護婦はイギリス人だ。その彼らがイタリア戦線で、イタリア軍の一員として、オーストリア軍を相手に戦っている。どうしてそういうことになるのか、筆者などにはよくわからないところがあるのだが、当時のヨーロッパでは、かつての傭兵の延長であるような、こうした外人部隊が活躍する余地があったのだろう。




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