壺齋散人の 映画探検
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ロブ・マーシャル「シカゴ」:人殺し女たちのミュージカル



ロブ・マーシャルの2002年の映画「シカゴ(Chicago)」は、ブロードウェイでヒットしたミュージカル作品を映画化したもの。人殺しの罪を犯した女たちが、無罪を勝ち取って娑婆にもどり、舞台のスターになることを夢見るという内容で、ある種のスター誕生の物語である。もっとも彼女たちの夢が実現したというわけにもいかないので、失敗したスター誕生の話といってよい。

スターにあこがれる若い女ロキシーが、浮気の相手を殺して刑務所に入れられる。刑務所には人殺し女の先輩が五人いて、その中には、ロキシーがあこがれていた女優ヴェルマもいた。ヴェルマは、恋人が妹とねんごろになったので、二人まとめて殺したのであった。

そのロキシーとヴェルマの弁護を、腕利きで知られた弁護士ビリーが引き受ける。ビリーは裁判について自信たっぷりである。というのも、アメリカの刑事裁判は、正義の実現ではなく、ショービジネスとして受け取られており、そのショーを盛り立てることで、世間の評判となれば、その評判に後押しされて、無罪を勝ち取ることができるからだ。じっさいアメリカでは、揺るがぬ証拠があって、有罪が明々白々のケースでも有能な弁護士が無罪に導くことがめずらしくないのである。アメリカでは、裁判が高級なゲームとみなされているから、そういう事が起きるのである。

映画の中でも有能な弁護士ビリーの活躍で、ロキシーとヴェルダは無罪放免となる。それは彼女らが、世間の注目を一身に集めたことのたまものだったのだが、世間の注目は浮気なもので、新しい見世物があらわれると、そっちにほうに映ってしまう。そんなわけで、娑婆に出てきた彼女らは、もはや無名同様であって、スターなどは遠い夢だ。それでも彼女らは、いつかスターになることを目指して、下積みから再出発する、といったような内容である。

原作自体には、アメリカの司法制度を批判する意図はなかったようだが、この映画には、それをおちょくるようなところがあって、それがある種、アメリカの司法制度への批判を感じさせるものとなっている。




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