壺齋散人の 映画探検
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アーサー・ペン「奇跡の人」:ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン



アーサー・ペンの1962年の映画「奇跡の人(The Miracle Worker)」は、いわゆる三重苦を克服して多彩な社会活動を行ったことで知られるヘレン・ケラーにまつわるものだ。ヘレンが七歳の時に出会ったアン・サリヴァンが、ヘレンの知力と才能を最大限に引き出し、健常者にかわらぬ人間となっていく過程を描く。

ヘレン・ケラーの話は、美談として世界中に受容され、小生なども、彼女のことは学校の教科書で知ったくらいだ。その教科書には、ヘレンが視覚、聴覚、言語という人間にとってもっとも基本的な機能を失いながらも、超人的な努力で建常者に劣らぬ能力を身に着けた立派な人として紹介されていた。だが、彼女をそこまで教育した家庭教師のアン・サリヴァンについては、あまり語られることはなかったように思える。この映画は、そのアン・サリヴァンのほうに焦点をあてて、彼女がいかにして困難な課題に向き合ったか、その努力の過程を丁寧に描き出している。

ヘレン・ケラーが初めて言葉をしゃべったのは、水という言葉だった。水を掌に受けながら、彼女は「水=ウォーター」と言ったのだった。そのことは彼女の自伝にも触れられ、また教科書がもっとも強調した部分だった。その様子も映画は映し出している。

アン・サリヴァンは自分自身障害者(弱視)であり、また、孤児として育ったので、深刻な障害を抱えたヘレンのことを自分自身のこととして受けとめる想像力をもっていた、というふうに描かれているが、じっさいにそうだったのだと思う。でなければ、幼くして三重苦に見舞われ、人間的なコミュニケーションから疎外されてきたヘレンを相手に、奇跡ともいえるようなことを成し遂げることはできなかったであろう。

映画の中のヘレンは、野生の動物のように描かれている。野生の動物でさえ、生きる上での知恵は身に着けているものだが、ヘレンは野放図に育ったために、人間社会において生きる上での基本的なマナーも身についていなかった。だから、アン・サリヴァンの仕事は、単に知的な能力を身に着けさせることにとどまらず、人間として最低限必要な社会的なマナーを身に着けさせることも含んでいた。アン・サリヴァンはその二つの課題にいずれも成功し、ヘレンを、知的にも生活上の必要という面でも、教え導いたというふうに描かれている。

そういう具合だから、この映画は、人間性についていろいろ考えさせるものを持っている。アーサー・ペンは後に、「俺たちの明日はない」などの作品によって、アメリカン・ニューシネマの旗手と言われるようになるが、この「奇跡の人」は、アメリカ人が好むヒューマン・ドラマに仕上がっている。




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