壺齋散人の 映画探検
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ジョエル・コーエン「バートン・フィンク」: アメリカの映画文化を強烈に批判



ジョエル・コーエンの1991年の映画「バートン・フィンク(Barton Fink)」は、ニューヨークで劇作家としてデビューした男がハリウッドの映画会社にスカウトされ、映画の脚本づくりに励むというような作品だ。それに不可解な人物が絡む。その人物は巨体の持ち主で、主人公のバートンにレスリングを教えたりするのだが、やがて連続殺人魔だということが判明する。その男の殺人現場に、バートンも巻き込まれ、一時は危機的な状況に陥るのだが、なんとかその危機を乗り越える。だが脚本家としては失敗するのである。

大した出来の作品とも思えないのに、カンヌでは高く評価され、パルムドールをとった。その理由ははっきりしないが、おそらくアメリカの映画文化を強烈に批判するようなところがあるからだろう。ハリウッドはユダヤ人が支配しており、ユダヤ的な価値観がベースになっている。ユダヤ的価値観は、拝金主義というべきもので、映画作りに求められるのは、何にもまして金を稼げるということだ。ところがこの映画の中のバートンは、芸術性に拘ったあげく、映画会社の社長から拒絶されてしまう。金にならない映画は屑だというのだ。

そのように正面からユダヤ的な価値観を批判したところが、この映画がヨーロッパで受けた理由だろう。アメリカでは、ユダヤ的な価値観が大きな成功を収めつつある中で、ヨーロッパでは相変わらずユダヤ的なものへの忌避感が強い。そうした中で、ユダヤ的なものを茶化すような内容の映画が、共感を呼んだということだろう。なにしろこの映画は、主人公のバートン・フィンクもユダヤ人という設定なのだ。その主人公も徹底的に戯画化されて描かれている。

殺人魔の大男のキャラクターがいまひとつわからない。この大男は人を殺すこと自体に快楽を感じているようで、そこに動機などは全くない。そこが無気味なところである。映画の終わり近くまで、この大男は善人のように描かれているので、それがいきなり凶悪な殺人犯に転身するところはショッキングな眺めである。アメリカの映画好きたちは、こうしたわけのわからぬシナリオが好きなようである。そう思わなければ理解に苦しむ映画である。そんなわけで変化球的なコメディ映画というべき作品である。




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