壺齋散人の 映画探検 |
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フレッド・ジンネマン(Fred Zinnemann)は、現代史に取材した社会的な視線を強く感じさせる映画を多く作った。それには彼自身の出自が関係していると思われる。かれはオーストリア系のユダヤ人で、両親はナチスの強制収容所で殺されている。そのことを知ったのは戦後のことだというが、自分自身現代史の渦のなかに巻き込まれたという意識をもったようで、それがかれに現代史にこだわる作品を多く作らせたのであろう。 |
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ハリウッドに渡ったのは戦前のことだ。我の強い性格から、映画製作会社から干されることが多く、せいぜいB級映画の仕事にありつくのが関の山だった。出世作となったのは、1948年の「山河遥かなり」である。これはナチのホロコーストによって一家バラバラにされた家族の話で、生き残った少年が母親と再会するというストーリーである。そこに、自分自身家族を殺された無念さのようなものを、盛り込んだ作品である。同年の「暴力行為」は、ナチの捕虜になった米兵の話。これも第二次世界大戦の一齣というかたちで、現代史への彼のこだわりを表現した作品である。 現代史にこだわる彼の姿勢は、その後も一貫していた。「地上より永遠に」(1953年)は真珠湾攻撃直前のハワイの米軍兵士たちの生きざまを描いたものだし、「日曜日には鼠を殺せ」(1964年)はフランコ政権下のスペインの政治的な雰囲気をテーマにしたものだし、「ジャッカルの日」(1973年)はド・ゴール暗殺計画をテーマにした作品だ。 一方で、「真昼の決闘」(1952年)のようなセンチメンタルな大衆受けのする作品も作っている。通俗に堕しておらず、市民社会はいかにあるべきかという理想論も吹きかけているのは、いかにもジンネマンらしいところである。また、「尼僧物語」(1959年)は、人気絶頂の女優オードリー・ヘップバーンを尼僧役として使ったことで話題になった。この映画は、尼僧としての生き方と人間としての生き方との間の矛盾のようなものをテーマにしており、ジンネマンのキリスト教への批判意識を感じさせる作品である。その一方で、宗教的な信念に殉じるトーマス・モアを描いた「わが命つきるとも」のような作品も作っている。 ジンネマンというと、とかく「真昼の決闘」のイメージが強いが、かれの真骨頂をなすものは、やはり現代史へのこだわりを盛り込んだ作品群である。なかでも、「山河遥かなり」は、かれ自身の個人的な体験もかかわっており、もっともジンネマンらしい作品と言えよう。完成度の高さという点では、「日曜日には鼠を殺せ」を以て彼の代表作ということができるのではないか。 フレッド・ジンネマン「山河遥かなり」:ホロコーストの悲劇 フレッド・ジンネマン「暴力行為」:密告者への復讐 フレッド・ジンネマン「真昼の決闘」:保安官の孤独な闘い フレッド・ジンネマン「地上より永遠に」:米軍兵士の日常 フレッド・ジンネマン「尼僧物語」:カトリックの欺瞞性への批判 フレッド・ジンネマン「日曜日には鼠を殺せ」:スペイン内戦の傷跡 フレッド・ジンネマン「わが命つきるとも」:トマス・モアの殉教 フレッド・ジンネマン「ジャッカルの日」:ド・ゴール暗殺計画 |
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