壺齋散人の 映画探検
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荒馬と女 マリリン・モンロー最後の出演作



1961年公開のアメリカ映画「荒馬と女(The Misfits)」は、マリリン・モンロー最後の出演作であり、共演したクラーク・ゲーブルにとっても遺作となった。ゲーブルはこの映画のクランクアップ直後に心臓発作で死んだ。映画の中での荒っぽい演技を、スタントマンなしでやったのが災いしたと噂された。

尻軽なアメリカ女と、荒っぽいカウボーイとの共同生活を描いたものだが、筋書きは陳腐だし、しかも迫力がない。迫力がないのは、登場人物たちに確固とした人格がないためだ。マリリンもゲーブルも頭のよわい木偶の棒のような存在として描かれている。それがアメリカ人の平均的な姿なのかもしれないが、しかしそんな木偶の棒をマリリンやゲーブルに演じさせるのはまた別の問題だ。

その責任は、無論監督のヒューストンの無能に帰されるべきだが、脚本を担当したアーサー・ミラーにも責任がある。ミラーは当時すでにマリリンとは破綻した関係にあり、マリリンを憎んでいた。その憎しみが、この映画の中のマリリンをひどい女性像にさせてしまったといえよう。ゲーブルはその巻き添えをくったわけだ。遺作となる作品で、かれもまた間抜けな老カウボーイ役を演じさせられるのである。

この映画の中のマリリンは、どんな人間に対してもやさしい聖母マリアのごとき女性として描かれている。そのやさしさが動物にも向けられるので、カウボーイたちは弱り切ってしまうのである。また、彼女が尻軽に振舞うのも、どんな人間にもやさしくせずにはいられない性分のためなのである。

若いころの性的な奔放さはもはや感じられない。体つきも顔つきも三十歳という年齢を感じさせるものとなっている。

なお原題の The Misfits は、不適合者という意味だが、それを「荒馬と女」と邦訳したのは、女性差別意識の表れではないか。「女」と呼ばれて気持ちのいい思いがする女性は、マリリンならずともいないだろう。




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