壺齋散人の 映画探検
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マリリン・モンローはなぜかくも愛されるか


世界の映画史上マリリン・モンローほど愛された女優はない。彼女はアメリカ人で、ハリウッドを舞台に活躍し、11本の映画に主演した。最初の主演作「ナイアガラ」に出たのは26歳の時である。最後の作品は「荒馬と女」で、彼女は35歳になっていた。女優としてはかならずしもとんとん拍子というわけではなかった。しかも最後の二作は、年齢による衰えのようなものを感じさせる。だから彼女の神髄が発揮されたのは、といっても演技のうまさということではなく、女性としての魅力が発揮されたという意味だが、そういう意味での彼女の魅力が存分に発揮された映画はそう多くはない。にもかかわらず、彼女はもっとも愛すべき女優であり続け、偉大な女優ともいわれた。彼女の何が人をしてそう思わせるのか。

小生は日本人であり、その小生を含む大部分の日本人もマリリン・モンローを愛した。マリリンは1926年生まれで、小生の母親と同じ世代だが、小生はあたかも同世代の美しい女性を見るような心持でマリリンを愛した。つまりマリリンは時間の制約などお構いなく人を夢中にさせる魔力のようなものを持っているわけだ。

マリリン・モンローは生きている間からすでに愛すべきアイドルになっていたが、死後はいっそう愛されるようになった。不可解な死に方をしたこともあって、彼女の死は世界中にセンセーションを巻き起こし、彼女の女優としての価値は永遠性を帯びるようになった。彼女の死は多くの人を悲しませた。日本で一番彼女の死を悲しんでみせたのは作家の野坂昭如で、野坂は彼女の死を悼む気持ちを「マリリン・モンロー・ノーリターン」という片言の英語で表現した。これは文字通りには、「マリリン・モンローよ戻ってくるな」という意味だが、野坂本人はマリリンを失った悲しさをこの言葉で表現したつもりだったのだと思う。

マリリン・モンローの死をもっとも悲痛な調子で悲しんだものとしてエルトン・ジョンをあげることができよう。エルトンはマリリンの死後11年たった1973年に、マリリンに捧げる曲 Candle in the Wind をリリースして、彼女の死を悼んだ。痛切な気持ちが伝わってくる歌である。その歌詞を拙訳で紹介しよう。

  さようなら ノーマ・ジーン
  きみに会ったことはないけど
  きみが素敵な人生を
  生きたことは知ってる
  きみは世の中から
  おもちゃにされて
  さんざんいたぶられて
  名前まで変えられたんだね

  でもきみはけなげに生きた
  風に揺らめく
  ともしびのように
  必死に生きた
  そんなきみとあいたかった
  子どもだったけれど
  そんなふうに思ったんだ
  死んでしまった君を

  孤独はつらい
  でもきみは耐え続けたんだ
  ハリウッドの犠牲になって
  ぼろぼろになりながらも
  きみが死んだとき
  連中は破廉恥にも
  きみを笑いものにした
  マリリンは裸のまま死んだと

  でもきみは素敵だったよ
  風に揺らめく
  ともしびのように
  必死に生きた
  そんなきみとあいたかった
  子どもだったけれど
  そんなふうに思ったんだ
  死んでしまったきみを

  さようなら ノーマ・ジーン
  きみに会ったことはないけど
  きみが素敵な人生を
  生きたことは知ってる
  さようなら ノーマ・ジーン
  きみの知らない少年から
  きみをたたえる言葉を贈りたい
  きみはマリリン・モンロー以上だと

  そうだきみは素敵だったよ
  風に揺らめく
  ともしびのように
  必死に生きた
  そんなきみとあいたかった
  子どもだったけれど
  そんなふうに思ったんだ
  死んでしまったきみを

  そんなきみとあいたかった
  子どもだったけれど
  そんなふうに思ったんだ
  死んでしまったきみを

これは子どもながらに愛していた女性に、その死後に回想のなかで思いを寄せるというもので、マリリン・モンローという女優としてではなく、ノーマ・ジーンという一人の女性としてたたえる内容である。彼女が不幸な人生を生き、他人からあくどく利用されながらも、けなげに生きたその姿勢をたたえるものになっている。たしかにマリリンは、不幸な人生を生き、周囲から理解されることが少なかったと思う。また、愛に飢えていたとも思う。なおこの曲のメロディは、ダイアナ妃の死を悼む歌詞にも使われているので、エルトンがマリリンとダイアナ妃を同じくらい愛していたことが察せられる。

女優としてのマリリンは、正当に遇されていたとは到底言えない。映画製作会社は彼女をセックスシンボルとして売り出し、彼女のイメージをステレオタイプに押し込んだ。十一本の主演作のうち、まともな作品はビリー・ワイルダーが監督した二本だけで、そのほかの作品は駄作ばかりだ。それでもマリリンは絶妙な演技で、ファンの心をつかんだ。有名なモンロー・ウォークは最初の主演作「ナイアガラ」の中で披露したものだが、それは彼女が自主的に演技したのだと思う。彼女は人を、つまり男を喜ばせるこつを知っていた。それはおそらく、不幸な少女時代の体験に根差したものだったろう。知人や孤児院をたらいまわしされた彼女は、子どもながらに人の顔色を見る癖がついたのではないか。その癖が彼女に他人の目を強く意識させ、他人を喜ばせるためにはどうしたらよいか、学ばせたのではないか。

マリリン・モンローの代表作を一つあげろと言われれば、ビリー・ワイルダーが監督した「お熱いのがお好き」(1959)ではないか。この時マリリンは30歳を過ぎたばかりで、女ざかりともいうべき時であり、また、優れた共演者(ジャック・レモンとトニー・カーティス)を得て、溌剌とした演技ぶりを見せてくれる。彼女の出演したほかの映画同様ラヴ・コメディではあるが、すっきりとした味わいがあり、マリリンのさっぱりした人柄が素直に出ている。

だがマリリンは、お笑いで人を楽しませるだけでは物足りない気持ちを持っていて、本格的な演技ができるシリアスな映画への出演を望んでもいた。最後の二つの作品は、彼女がプロジュースに絡んだこともあり、多少シリアスな要素を感じさせる作品であるが、できがよいとはいえない。マリリンの女優としての存在感も弱く感じられる。それは演出した監督に責任がある。この比類のない女優の魅力を、監督が十分に引き出せなかったというべきである。

ともあれマリリン・モンローはいまだに人を惹きつけてやまない。今年は彼女の没後60周年ということもあり、記念アルバムなどの企画も人気を呼んだという。それほど人々に愛されているのである。


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