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娘は戦場で生まれた:シリア内戦のドキュメンタリー



2019年のシリア映画「娘は戦場で生まれた」は、シリア内戦を一女性の視点から記録したドキュメンタリー映画である。1911年の「アラブの春」の激動に始まり、アサド政権による運動の弾圧とそれへの抵抗が内戦へと発展し、やがてジハード組織の介入や、ロシアの介入などを経て、泥沼の状況に陥っていくさまを、一女性の視点から見続けている。その女性は、後に夫になる医師が、内戦の犠牲者を治療する役割を果たしていることもあり、いわば内戦の最前線にいつも立ちあっている。その立場から、スマホを含め常にカメラを使って、内戦の過酷な実態を記録し続けたのである。その記録は、1911年のアレッポ大学における「アラブの春」運動から、1916年の暮れまでをカバーしており、その五年の間に一人目の娘が生まれ、やがて二人目の子供の出産を控えることろで終わる。映画は一応終わるのだが、内戦そのものはいま(2023年)でも続いている。

カメラを抱えて撮影を続ける監督兼主人公のワアドなる女性が、医療現場の最前線にいることもあって、内戦の犠牲者として傷ついたり殺されたりする人々を、日常目撃する。その目撃した様子を、自ら撮影しているのである。自分自身が被写体になるときには、協力者の手を借りているのだろうが、ほとんどは、ワアド自身が撮影した映像からなる。起こっている事実そのものを、生のまま映しているので、すさまじい迫力である。小さな子どもまでが、無残に殺されたり、傷つけられたりする。また、アサド政権によって殺された市民たちの遺体が、多数川に浮かび、収容された遺体が青い布に覆われて地面に並べられる。それを親族らしい人々が確認しに来る場面などは、実に陰惨な気持ちにさせられる。

ワアド自身は、徹底した反アサド派で、アサドがいなくならなければシリアに救いはないと思っている。彼女の立場からは、反アサド派は正義を体現していることになる。だから、ジハードの勢力も、反アサドであるかぎり、自分らの味方ととらえる。それに対して、アサドに肩入れする勢力は悪党である。その悪党の代表としてロシアがやり玉にあがる。映画は終わりに近づくにつれ、ロシアへの非難を強めるのだ。

それにしても、内戦とはいえ、国家が機能しなくなった土地の住民が、いかに辛酸をなめさせられるか、強烈な迫力をもって伝わってくる。この内戦は2023年の現在も収束する見込みがなく、住民は世界から孤立している。そこで巨大な地震災害が襲ってきて、住民は往復びんたをくらったような、みじめな状況に置かれている。国家が機能していないので、世界からの支援の手も伸びてこない。住民はひたすら忍従するばかりなのだ。つけても、国家と人民との関係を強く考えさせられる映画である。

なお、仮死状態で生まれてきた嬰児が、医師の乱暴とも思える処置によって蘇生するシーンは、命の不思議さを感じさせて、圧巻である。




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