壺齋散人の 映画探検
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ガーダ パレスチナの詩 ガザの陰惨な日常



2005年の映画「ガーダ パレスチナの詩」は、日本人の古居みずえが、ガザのパレスチナ人女性を取材したドキュメンタリー映画である。1993年から2000年の第二次インティファーダまでを追っている、1993年はいわゆるオスロ合意がなされた年であり、パレスチナ人に国家再興の希望が生まれかけていた。しかしその希望は、イスラエル側の植民地政策によって踏みにじられ、パレスチナ人はあいかわらずイスラエルによる抑圧に苦しみ続けていた。その挙句に第二次インティファーダが起きたわけである。

取材の対象は、ガーダというパレスチナ人女性とその家族。彼女は、1993年の時点で23歳である。自由な考えの持ち主で、パレスチナ人社会における因習的な制度に強い批判意識をもっている。そんなわけで、映画の前半は、パレスチナの因習と戦う彼女の姿が映し出される。親の決め事ではなく、自分の意志で結婚相手を選ぶこと、配偶者の家の一員として同居するのではなく、夫婦だけの暮らしをすること、家事は夫婦共同で分担し合うことなである。そんな彼女の意志を夫も尊重してくれる。

親や親せきは、子供は多いほうがいいと勧める。彼女ら夫婦は三人で沢山だと言う。この映画の終わる時点では、彼女らには二人の子供が生まれている。一人は娘、一人は息子である。ともあれ家族とともに彼女はそれなりに充実した暮らしをしていた。もっとも移動制限など、イスラエル政府による抑圧は、日常的に感じるのだが。

そんな折にインティファーダが起こる。インティファーダは、西岸においてすさまじかったが、ガザにもユダヤ人は攻撃を仕掛けてくる。その攻撃にまきこまれ、ガーダの従兄の息子も頭を背後から撃たれて殺される。まだ13歳の子供だ。それにガーダは強い怒りを感じる。映画は怒りと絶望で打ちのめされたガーダの表情をうつしながら終わる。

この映画を通じて、イスラエルのユダヤ人らがガザのパレスチナ人に対して行っている残虐な仕打ちがよくわかるように伝わってくる。そうした実態を日本人が映画にしたということに、この作品の意義があるのではないか。ユダヤ人によるパレスチナ人への暴力は、植民地主義が必然的にもたらす構造的なものだ。だから、そう簡単には解決されない。ユダヤ人がもっと謙虚になるか、あるいはパレスチナ人が暴力に忍従するか、そのいずれかしか道はないが、それも根本的な解決にはつながらない。ユダヤ人は今後も暴力の行使を続けなければならぬだろうし、パレスチナ人はそれに反発しながらも新たな暴力に耐え忍ばねばならない、そうした事態が半永久的に繰り返されるであろう。

いまや、イスラエル国家によるパレスチナ人に対する民族浄化というべき大虐殺・ジェサイドが起きている。ユダヤ人は、自衛と称してパレスチナ人の無差別殺戮を行っている。この映画に登場したパレスチナ人たちも、そうした虐殺の犠牲になっているのであろう。




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