壺齋散人の 映画探検
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カンダハール:モフセン・マフマルバフ



モフセン・マフバルバフは、アッバス・キアロスタミと並んで、イラン映画を代表する監督である。キアロスタミは、イラン革命以前から活動していた巨匠だが、マフバルバフは、革命後に登場し、現代イラン映画をけん引する存在となっている。キアロスタミが、ゆったりとして拡散的な傾向が強いのに対して、マフバルバフは、畳みかけるような躍動感ある映画作りが特徴である。

2001年の作品「カンダハール」は、マフバルバフの代表作といってよい。カンダハールは、タリバンの拠点都市だったところで、2001年の10月以降、アメリカの激しい攻撃を受けた。この映画は、アフガン戦争が勃発する直前の、イランとアフガニスタンの状況を描いている。この映画を見ると、当時のアフガニスタンの人びとの暮らしの一端がわかる。

アフガン戦争の混乱を逃れてカナダに亡命していた女性ナファスが、カンダハールで暮らす妹からSOSの手紙を受け取る。それには20世紀最後の皆既日食の日に、自分は自殺するつもりだと書かれていた。ナファスは、なんとかして妹の命を救いたいと思い、イランからアフガン入りし、カンダハールに向おうとする。しかしカンダハールに到る道筋は、タリバンの支配下にあり、極端に治安が悪い。普通の人でも無事に旅できる可能性は非常に低い。ましてや、カナダからやってきた彼女が、一人で旅行するのは自殺行為に等しい。そういう状況にかかわらず、勇気を奮い起してカンダハールをめざすナファスの表情を、この映画は捉え続けるのである。

カンダハールに到る間に、さまざまなことが起る。まず、カンダハールまでの旅に同行してくれることになった家族が、途中で山賊に襲われて身ぐるみ剥がれてしまい、イランに引き戻すと言い出す。途方にくれた彼女は、一人の少年にガイドを頼む。その少年は、タリバンの学校にいたのだったが、勉強する意志がないことを理由に追い出されたのだった。この少年は、金をねだるばかりで、まともにカンダハール迄案内してくれるのか、心もとない。

そこで、ある村で出会ったアメリカ人医師の忠告で、その少年を解雇し、別のガイドを雇うことにする。その医師は、本物の医師ではなかったが、結構現地人から信頼されている。民間療法でも、役に立つようなのだ。そのエセ医師が、途中まで馬車に乗せてくれ、出会った一人の男にガイドを依頼する。この男も金の亡者で、赤十字のキャンプからせしめて来た義足のセットを、ナファスに売りつけようとする。このあたりでは、地雷で足を失った人が多く、義足は大いに需要があるのだ。

その男は荷物を取りに行くと言って一旦その場を離れるが、やがて花嫁の行列に紛れてやってくる。この行列に紛れ込めば、なんとかカンダハール迄たどりつけるだろうというのである。

しかし、その行列も、おそらくタリバンと思われる警備団によって検問を受ける。ガイドの男はここで足止めを食らってしまうが、ナファスはなんとか検問を突破し、カンダハールをめざす。カンダハールは、イラン国境から五百キロも離れている。その長い距離を、彼女は歩き続けるのだ。映画は、その彼女が花嫁たちと一緒に砂漠を歩き続けるシーンを映し出して終わる。希望通りカンダハールにたどり着けたかどうか、映画は語らない。

こんな具合で、この映画の見どころは、この当時のアフガニスタンの状況を、スリル感たっぷりに描き出しているところにある。映画の撮影も困難を極めたらしい。マフバルバフはじめスタッフは、服装を変えて現地人になりすまし、場所を移動しながら撮影を続けた。だから、半分はドキュメンタリーと言ってもよい。即興的な要素が強いわけだ。しかも、女性の撮影を頑強に拒否されたり、身の危険を感じることも多々あったらしい。

この映画は、2001年5月のカンヌ映画祭に出されたが、全く無視されたという。ところがその年の10月にアフガン戦争が勃発すると、戦争直前のアフガニスタンを如実に描いているいうことで、俄然大変な評判になり、それまでのすべてのアジア映画でもっとも多くの観客動員数を誇ったといわれる。

なお、この映画の中で、アメリカ人のエセ医師を演じている黒人の男が、FBIが国際指名手配をしている過激派だというので、一部で大騒ぎになったという。マフマルバフ自身、少年時代に過激派テロリストのために活動したという嫌疑もかけられたらしい。




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