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トルコ映画「少女ヘジャル」 クルド人の少女とトルコ人の老人



2001年のトルコ映画「少女ヘジャル ハンダン・イペクチ監督」は、孤児になったクルド人少女と、元判事だというトルコの老人との触れ合いを描いた作品。少女が孤児になったのは、両親や親戚がトルコ警察に殺されたためだ。トルコ政府は、クルド人の独立勢力を敵視しており、徹底的に弾圧している。だから、この映画に出てくるヘジャルのような少女は、ほかにも沢山いるものと想像される。そんなわけでこの映画は、トルコによるクルド人弾圧をテーマにしているともいえる。それがトルコ政府の逆鱗に触れたのか、この映画は上映禁止処分の憂き目にあったという。

アパートの一室で、親戚と一緒に暮らしていた少女。そこにトルコ警察が押し入ってきて、大人たちをみな殺してしまう。少女ヘジャルは、ひとりだけ生きのび、警察の目を盗んで隣家に避難する。そこには老人が一人で住んでいて、とりあえず少女をかくまうことにする。だが、引き取るつもりはない、いずれ公的機関に差し出すつもりでいる。

だが、かくまい続けているうちに、いつの間にか少女を愛するようになる。少女に新しい服を買ってやったり、散歩に連れて行ったりする。だが、少女はクルド語しか理解しないので、対話が成り立たない。そこで老人は、通いの女中がクルド人だと知り、彼女からクルド語を習って、少女との会話に努める。

少女にはエブドという伯父がいることがわかる。そこでその伯父に接触するが、伯父も知り合いに面倒を見てもらっている境遇で、とても少女を引き取って育てる余裕はないようだ。

そのうち老人は、少女を養子にして育てる気持ちにかたむく。隣家には、この老人を愛する女性がいて、是非一緒に暮らしたいと申し込まれる。その女性と一緒なら、この少女を育てることができるのではないかと考えたのだ。だが、女性は子供を引き取るのはいやだという意志表示をする。

結局老人は、少女を引き取るのはあきらめて、伯父にひきわたすことにする。少女はそれを喜ぶ。なんといっても肉親のつながりが第一なのだ。とはいえ、彼女らの未来が明るいわけではない。

こんな具合に、ヒューマンタッチで、なかなか泣かせる映画である。




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