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トルコ映画「卵」 トルコ人の家族・故郷



2007年のトルコ映画「卵」(セミフ・カプランオール監督)は、トルコ人の家族とか故郷といったものをテーマにした作品。長い間故郷を離れてイスタンブルに暮していた男が、母親が死んだという知らせを聞いて、久しぶりに故郷へ戻り、そこで一人きりの妹や親戚、あるいは近隣の人たちとひと時の触れ合いを体験する、といったような内容だ。

兄妹は、母親を同じくし、父親は別だ。その父親はどちらのも死んでおり、二人だけが生き残っている。妹は大学受験を控えているので、高校生なのであろう。病気だった母親の看病は、彼女一人で行っていたらしい。一人取り残された彼女は、兄に対してこれといった希望があるわけではない。ただ、母親が、自分の死に対して生贄を捧げてほしいと遺言したので、兄がそれを実行してほしいと言う。兄は、生贄などに意義を認めないのだが、妹の希望と母親の遺言を尊重して、子羊を生贄に捧げる。

生贄の儀式が終わったあと、兄はイスタンブルに去る。妹は一緒に行くわけでもなし、また、一緒に暮らしたいと願うわけでもない。

長回しを多用したゆったりとした画面作りが印象的だ。そのゆったりとした画面が、トルコ人の時間間隔のあらわれなのか、小生にはわからぬが、欧米の映画には見られない時間感覚だと思う。なお、タイトルの卵は、妹が飼っている鶏の産んだものである。彼女は数羽のめんどりを飼っていて、それらが毎日卵を産んでくれるのだ。どこに産むかは決まっていない。だからそこらじゅうを探しまわらねばならない。小生の家も昔めんどりを飼っていて、毎日そこらじゅうを手探りしながら卵を拾いあつめたものだ。

めんどりが卵を毎日違った場所で産むのは、人間に盗まれないための知恵なのかもしれない。だが結局は人間に見つかって取られてしまう。鶏の知恵では、そこが限界なのだろう。もっとも、この映画に出てくる人間たちも、大した知恵があるようには見えない。




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