壺齋散人の 映画探検
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ダルデンヌ兄弟「息子のまなざし」:愛と許し



ダルデンヌ兄弟の2003年の映画「息子のまなざし(Le Fils)」は、基本的には人間の個人の感情をテーマとしたものだが、それに社会的な問題をもからませている。いかにもダルデンヌ兄弟らしいテーマ設定といえよう。その人間の個人感情とは、自分の愛する息子を殺した人間を許すことができるかという葛藤の問題であり、それにからんだ社会的な問題とは、殺した相手が、当時十一歳の少年で、カーラジオを欲しさに盗みの行為を働いた際に、はずみで小さな子供を殺したというものだ。十一歳の少年が、盗みをするということ自体が、社会が壊れていることの表徴のようなものであり、しかもまともな判断力を持つとはいえない少年に、それを徹底的に償わせるのが、果たして正義にかなっているのか、というような問題意識を感じさせる作品である。

職業訓練校で木工を教えている男が新入生の担当を引き受ける。十六歳の少年で、少年院から出てきたばかりだ。その少年に男は異常な関心を寄せる。尾行したり、あげくは下宿先の部屋に侵入したりだ。理由はやがて明らかになる。その少年は、五年前に自分の息子を殺した相手だったのだ。そのことを別れた妻に話したところ、妻は逆上する。許せないというのだ。

男は、なにかにつけて少年と接する機会を持つ。少年から、自分の息子を殺した事実を詳しく知りたいというのがとりあえずの動機だ。そのうち、少年を製材所に連れて行って、二人きりになる。そこで男は、事件の顛末を詳しく聞き出す。少年は、男に恐怖を覚え逃げようとする。少年を男は追いかけ、捕まえたうえに、首を締めあげようとする。自分の息子もそのように首を絞められて殺されたのだ。

だが、男は少年を殺すことはできなかった。そんな男に少年は和解を求める仕草をする。だが、自分の息子を殺した相手を、たとえそれが十一歳の少年の行為だったとしても許せるだろうか。そういう思いが強烈なものとしてある一方で、わずか十一歳の少年の犯した行為を、徹底的にせめて、償わせるのが正義にかなったことなのか。男の胸は相反した思いに引き裂かれるのである。

この映画の眼目は、キリスト教圏らしく、愛と許しをどう受け取るべきかという問いかけにあるとともに、わずか十一歳の少年に、人殺しにつながるような行為に走らせる社会というのは、やはり壊れているのであって、そうした社会の在り方を立て直さない限り、同じようなことは繰り返されるという問題提起にもある。色々と考えさせる映画である。

テーマが暗鬱なので、画面構成も非常に暗鬱なイメージを感じさせる。固定させたカメラからの長回しの画面が続き、セリフまわしも必要最低限に制限されている。そのかわり、クローズアップを多用することで、登場人物の心理状態を可視化するように出来ている。そういう点で、実験性を感じさせる作品である。なお、原題は単に「息子」という意味で、まなざしをイメージできるようにはなっていない。




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