壺齋散人の 映画探検
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ロベルト・ロッセリーニの映画「ヨーロッパ一九五一年」:
東西冷戦下の女性の社会意識



ロベルト・ロッセリーニの1952年の映画「ヨーロッパ一九五一年(Europa '51)」は、タイトルにあるとおり1951年におけるヨーロッパの政治的・社会的雰囲気をテーマにした作品。その頃のヨーロッパは、東西冷戦の絶頂期にあたっており、イデオロギーの対立も先鋭化していた。フランスやイタリアでは共産党の権威が強く、指導層は露骨に敵対する姿勢を見せた。アメリカではいわゆる赤狩りが猖獗を極め、リベラルな映画人まで赤のレッテルを貼られて迫害される始末だった。

そうした時代状況を背景に、一人の女性の社会意識の覚醒をこの映画はモチーフにしている。イングリッド・バーグマン演じるその女性イレーネは、ブルジョワの主婦としてそれなりに充実した毎日を送っていたが、一人息子が自殺したことで、深い自責の念にとらわれる。自分の利己主義的な振る舞いが息子を傷つけたと思ったのだ。そこで彼女は、以後自分を犠牲にして、弱きもののために尽くしたいと思うようになる。友人の過激主義者(おそらくコミュニスト)の影響もあった。

ひとり街を徘徊しながら、困っている人を見つけると、全力をあげて助けようとする。子だくさんの女のためには仕事を紹介し、重い病気に陥っている娼婦のためには精神の安楽を与え、犯罪を犯した少年には回心への導きの手をさしのべるといった具合だ。その他にもいろいろ困っている人たちを助ける。そのため彼女は、貧しい者たちによって聖女と見なされるようになる。

そんな彼女に二つの落とし穴が待っていた。一つは官憲、一つは夫をはじめとする家族である。官憲は彼女の過激思想が気に入らない、夫たちは、彼女に家族の面目を潰されるのがたまらない。そこで官憲と夫たちがグルになって、彼女を精神病院に入れてしまうのだ。

精神病院に監禁されても、彼女は意気消沈しない。それどころか、いよいよ自分の使命に目覚めるのだ。その尊い姿勢は聖職者まで驚かせる。聖書者は、彼女がキリストをきどっているのではないいかといぶかり、もしそうなら狂女扱いして、社会から抹殺する必要があると考える。その考えは関係者によって共有される。かくして彼女は生涯精神病院に監禁されることになるのである。

当初は普通の主婦だった女が、一人息子の死を契機として、次第に社会意識にめざめ、ついには不動の信念をもった聖女に成長していく過程を描いているという点では、一種の宗教映画と言ってよい。ロッセリーニはこれ以前に、やはり宗教をモチーフにした「神の道化師」を作っており、キリスト教へのかれなりのこだわりを感じさせる。一方、この映画でバーグマンが体現する社会的な意識については、ロッセリーニはかれ独自のスタンスをとっているように見える。「無防備都市」など、自由の意義を強調する映画がかれの身上といわれているほど、彼自身は尖鋭な政治意識をもっていたわけだはなく、どちらかといえば、保守的な考えの持ち主だったようだ。この映画では、冷戦という背景もあって、バーグマンやその友人がかぶれている社会的問題意識は、どちらかというと、皮肉たっぷりに描かれている。



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