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ルキノ・ヴィスコンティ「家族の肖像」:老紳士の家族へのあこがれ



ルキノ・ヴィスコンティの1974年の映画「家族の肖像(Gruppo di famiglia in un interno)」は、ある引退教授と奇妙な人々との触れ合いを描いた作品だ。バート・ランカスターが演じるこの引退教授はローマの高級マンションに一人暮らししているのだが、そこへ奇妙な人々が入りこんできて、老教授の静寂な生活を乱す。老教授は、初めは迷惑を感じるのだが、いつのまにか彼らが好きになる、という筋書きである。映画はこの老教授のマンションの部屋を舞台に展開する。野外の場面は一切ない。ただ老教授の部屋のバルコニーから、ちらりと垣間見られるだけである。部屋の内部を舞台にした映画としては、ヒッチコックの「ロープ」とか、コクトーの「恐るべき親たち」があるが、この映画はそれら先行作品に劣らぬ出来栄えである。日本で上映された際には大ヒットになった。

老教授は、絵画を収集するのが趣味だ。映画はそんな老教授に、画商たちが掘り出し物を売りつける場面から始まる。老教授は購入をあきらめて画商たちに引き取ってもらうのだが、なぜか一人の婦人(シルヴァーナ・マンガーノ)が部屋に居残って、老教授に馴れ馴れしく語り掛ける。老教授が不審に思っていると、その夫人は上階にある部屋を是非貸してほしいという。貸す気はないといって一旦は引き取ってもらうと、数日後その夫人は娘を伴なって現れ、先日画商から勧められた絵を見せる。老教授は、気が代わってその絵が是非欲しいと思っていたのだ。そんな老教授の気持を見透かすように、夫人は絵を餌にして、ついに部屋を借りることに成功するのである。

その部屋は、娘の為にという名目だったが、実は自分の若いつばめを住まわせるのが目的だったのだ。その若いつばめ(ヘルムート・バーガー)は、勝手に壁を破壊して、部屋を作り替えようとする。そのため床が抜けそうになったり、水漏れがしたりして、大騒ぎになる。怒った老教授は、契約を解除して、損賠賠償を要求するとせまるが、相手はどこ吹く風。老教授もそんなかれらに根負けして、引き続き住まわせることにする。

部屋には、つばめのほか夫人の娘とそのボーイ・フレンドもやってきて、三角セックスを楽しんだりする。そんなかれらを老人は憎めないのだ。とくにつばめは、絵画に詳しいようで、老人は自分と同じ趣味を持つこの青年が次第に好きになる。ところがある日、青年は何者かによって襲われる。青年には複雑な過去があって、いまでも誰かに追われているようなのだ。

一方、夫人はさる右翼実業家の妻ということになっている。つばめのほうは左翼なのだが、色事に思想は関係ないという具合に、それを気に掛ける様子はない。実業家が右翼なのは当たり前のことなのだ。一方血気の盛んな若者はえてして左翼になるものだ。

老人はかれらを食事に招く。夫人とその娘、つばめともうひとりの青年の四人がやってくる。この席で、夫人とつばめの関係が破綻し、若者同士は殴り合いのけんかになる。そして数日がたったころ、つばめは部屋の中で爆死するのだ。老人はかれが自殺したと思うのだが、夫人の娘は誰かに殺されたのだという。真因がわからないまま、老人もやがて死んでいくのである。

バート・ランカスターの演技が、渋さを感じさせて良い。バート・ランカスターといえば、「エルマー・ガントリー」の演技が光っているが、この映画のなかの演技もなかなかのものだ。こういう雰囲気を出せる俳優というのは、そういるものではない。

なお、タイトルの「家族の肖像」は、老人が趣味で集めている絵画のすべてが、家族の肖像を描いたものだということから来ているようだ。同時に、老人自身の家族へのあこがれも意味しているのだろう。また、夫人の娘がオーデンの最後の詩だといって引用する場面があるが、それはThe momentという詩だ。参考に示しておこう。
  If you see a fair form, chase it
  And if possible embrace it,
  Be it a girl or boy.
  Don't be bashful: be brash, be fresh.
  Life is short, so enjoy
  Whatever contact your flesh
  May at the moment crave:
  There's no sex life in the grave.



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