壺齋散人の 映画探検
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夏の嵐:ルキノ・ヴィスコンティ



ルキノ・ヴィスコンティの1954年の映画「夏の嵐(Senso)」は、イタリア女の奔放な性愛を描いた作品。イタリア女は、フランス女に劣らず好色で、自分の性欲を追及するためにはすべてを犠牲にするほどと言われるが、そうしたイタリア女の破滅的な性愛を、オペラ的な雰囲気たっぷりに歌い上げた映画である。

映画は、イタリアでいわゆるリソルジメントが盛んになろうとする頃のベニスを舞台に、ベニスを占領するオーストリア軍の将校と、イタリアの伯爵夫人が激しい恋に陥るという設定だ。そのオーストリア軍将校の名はマーラーというが、マーラーはヴィスコンティの好きな音楽家名前であるらしく、映画のところどころでマーラーの曲が流される。もっとも映画の冒頭でのオペラシーンは、マーラーではなく、ヴェルディの「イル・トロヴァドーレ」の舞台が紹介されるのであるが。

オペラ会場に居合わせたドイツ軍将校マーラーを、ベニスの貴族の青年ロベルトが侮辱したことから物語りは始まる。ロベルトの従姉で伯爵夫人のリヴィアは、愛するロベルトの命乞いをするためにオーストリア軍陣地を訪ね、そこでマーラーにあう。マーラーは、ロベルトを助ける気はないと言いつつ、リヴィアに大きな関心を抱く。自分につきまとうマーラーを、リヴィアはうっとうしく思っていたが、ロベルトを助けるためと自分に言い聞かせ、マーラーと会ううちに、マーラーに対して性欲の高まるのを覚えるのだ。

一旦男を欲しくなると、自制が聞かないのがイタリア女のサガとばかり、リヴィアはマーラーとの不倫の愛にのめり込んでいく。この映画は、そうした二人の痴情を描くことにほとんどが割かれ、リソルジメントにまつわる様々な出来事は刺身のつまのような扱いである。実際には、従弟ロベルトはリソルジメントの戦士として活躍するのであるし、イタリアはオーストリア軍を圧倒する勢いを見せるのだ。しかしそんなことは、二人の不倫の愛にとってはないに等しく、かれらはひたすらに二人だけの世界に沈澱するのだ。

そんなこともあって、マーラーは兵士としての任務を果たさず、肝心なときに持ち場を離れたことで、脱走兵扱いされてしまう。そんなマーラーが身を隠しているヴェローナに、リヴィアはわざわざ訪ねていくのだが、マーラーは思いもかけず冷たく振る舞う。リヴィアのせいで脱走兵扱いされたと言って、逆恨みしているのだ。そのうえ、娼婦と一緒にいるところを見せつけ、あまつさえリヴィアを侮辱して売女呼ばわりする。これにはさすがのリヴィアも怒り狂い、オーストリア軍陣地に赴いてマーラーの罪状を暴き立てるのだ。その結果マーラーは、オーストリア軍に連行され、すぐさま射殺されてしまうのである。

単純化して言うと、イタリア女の奔放で自己中心的な性愛に、うぶなオーストリア男がほだされてしまったということだろう。だからイタリア女を愛人とするつもりならば、それ相当の覚悟がいると、ヴィスコンティは世界に向って忠告したかったのかもしれない。ネオ・レアリズモから出発したヴィスコンティが、本格的な文芸路線に転換した作品だが、ヴィスコンティの作品としては、やや質が劣るのではないか。

なお、原題の「Senso」は、感覚とか官能といった意味。イタリア女の性的な欲望をさした言葉だろう。




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