壺齋散人の 映画探検
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ロスト・ケア 介護殺人



2023年の日本映画「ロスト・ケア(前田哲監督)」は、介護従事者による患者殺人を描いた作品。その殺人を、犯人は人を殺したのではなく、救ったのだという。その男は、数年の間に41人もの患者を殺していたのだ。そのことについて、担当の検事が追及すると、自分は患者とその家族を楽にしてやるために、死なせてやったのであり、なんらやましいとは思っていないという。そんな犯人を検事は法の裁きに服させるが、実は心のどこかで犯人の主張に共鳴する、というような内容である。

介護をめぐる日本社会の矛盾を突いた作品といってよいだろう。自己責任がああたりまえとされ、重度の認知症の患者を抱えた家族は途端の苦しみを味わっている。それを介護する側も、人手不足によって過酷な労働を強いられる。そうした日本の介護現場にいる者として、患者やその家族にとって何がより望ましい選択なのかを考えた場合、患者を安楽死させて、患者とその家族とを共に介護地獄から解放してやるのは、人道に反したことではない。そんな考え方をめぐって、映画は展開していくのである。

殺人犯の介護従事者を松山ケンイチが、担当検事を長瀬まさみが演じている。事件は、介護センターの所長と患者とが不審な死に方をしたことから始まる。検察の首脳部は、これは所長が患者を殺した後、なんらかの事故で自分も死んだのだろうと解釈し、その所長を患者殺しの罪であげるのが適当だと判断するのだが、担当検事の長瀬は、もっと深い事情があるのだろうと直感する。アシスタントとともに事件の背景を追っていくうち、一人の介護従事者に注目する。その従事者は仕事熱心で、患者の家族からも信頼されていたのであるが、実はその仕事熱心さは、自分なりの介護哲学のあらわれだった。単に患者の面倒を見るだけではなく、真に楽にしてやらねばならぬ。安楽死させることで、患者をみじめな生きざまから解放し、かつ家族に介護にともなう絶望的な境遇から解放してやる。それが自分の使命だと思い込んでいるのである。

無論そんな思い込みは、現代の日本社会では通じない。かれの行った行為は殺人であり、かつ始末の悪い殺人である。極刑以外の選択はない。かつてかれは裁かれるのであるが、そのことに後悔の念は覚えない。むしろ達成感を覚える。そんな犯人に対して検事は、突き放した態度をとれない。わざわざ刑務所に出かけて行って、あなたの気持ちはわかると伝えるのである。

こんなわけで、かなりセンチメンタルな作品である。なお、介護従事者による殺人事件としては、やまゆり園事件が有名だが、この映画の中の事件は、やまゆり園事件ほど非人間的ではない。




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