壺齋散人の 映画探検
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佐々部清「半落ち」:不審な自首



佐々部清の2004年の映画「半落ち」は、犯罪捜査をテーマにした作品。「半落ち」とは、自首はしたものの、供述の内容に不審な点があり、もしかして身代わりではないかと疑わせるようなケースをいう警察言葉。供述に矛盾がなく、犯人であることに疑いがないようなケースを「完落ち」というらしい。

映画で自首をした人間は現役の警察官ということになっている。それが犯罪捜査のかく乱要因となる。警察は警察官の不始末によって警察のメンツがつぶれることを恐れ、なるべく単純な事件に見せかけて早く幕を引こうと考える。検察もそうした警察の動きに基本的には同調するし、裁判所もまた事件に深入りすることをさけて、形式的な裁判をすることで、警察や検察の意向に沿おうとする。ところが、警察の中には、犯人の供述に不信を抱くものが現れ、検察の中にも、この事件の異常性に疑問を抱くものがいる。その外新聞記者にも、この事件に強い関心を抱くものがいたりして、事件をめぐってさまざまな関係者が、それぞれの立場から事件にかかわっていく、というような内容である。

映画はとくに、警察の事なかれ主義を強く批判しているように伝わってくる。事件を単純化するために、調書の捏造までする。それが思いがけない反響を呼んで、かかわるのある人々を振り回すのである。

その過程で、検察や裁判所あるいは弁護士を含めた司法関係者の行動様式がやや戯画的に描かれる。それをみると、日本の司法制度がけっこういい加減なシステムだと感じさせられる。だからこの映画は、司法関係者にとってはあまり愉快なものではないだろう。

事実関係をめぐって関係者がドタバタ騒ぎをするところに、喜劇的な面を感じることができるが、不可解なのは、犯人の真意である。この犯人は自分の犯した罪を認めているにかかわらず、事実を正確に語ろうとしない。なにかを隠しているように見える。じっさい何かを隠していたのだったが、なぜそんなことを隠すのか不可解なほど、つまらぬことなのである。つまらぬ、といっては語弊があるかもしれないが、命を懸けて守ろうというほどのことではないのではないか。

そんなわけで、犯罪捜査をテーマとしているわりには、迫力が足りない。犯人を演じた寺尾聡に、悪人らしいところがないせいかもしれない。




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