壺齋散人の 映画探検
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東陽一「だれかの木琴」 中年主婦のストーカー行為



東陽一の2016年の映画「だれかの木琴」は、中年の平凡な専業主婦がストーカー行為にのめりこんでいく過程を描いた作品。この映画を見ると、平凡なしかも普通の家庭を持つ中年女性でも、なにかのきっかけでストーカーになってしまう可能性を、非常に強く感じさせられる。本人にはストーカーの自覚はなく、ただ自然に振舞っているつもりなのだが、付きまとわれるほうは非常な不気味さを感じる。しかもその女性は自分の暮らしに強い不満があるわけではない。夫との関係もうまくいっていて、年の割にはセックスの頻度も高い。映画の冒頭では、仕事の合間に家に立ち寄った夫とセックスするのである。

そのストーカーの女性を常盤貴子が演じている。この映画に出た時に常盤は44歳だったが、年の割には色気があって、したがって彼女の演じるストーカー行為はセクシュアリティを伴っている。ただの狂乱には見えない。一方付きまとわれる側の男は池松壮亮が演じていて、これは彼のイメージどおりに柔和な印象を与える。その柔和な印象の若い男が、色気を発散する中年女に付きまとわれるのだが、美容師という職業柄、女を粗末に扱うことができず、悶々とするのである。

彼女は、夫と一人娘とともに、東京郊外の一軒家に引っ越してきたばかりである。近所の美容院でたまたま若い男に世話をされたのがストーカー行為が始まるきっかけだ。その男が営業用のメールを送ってきて、それにこたえるところからやり取りが始まる。すっかり男が気に入った常盤は、色々都合をつけて美容院に通う。なぜそんなことをするのか大した自覚はない。とにかく会っているだけで幸せな気分になるのだ。そのうちだんだんエスカレートしていく。男の住まいを突き止めると、最初はイチゴを届けたりするが、そのうち少女用のドレスを贈ったり、また、深夜に家を訪ねたりする。そこまでやられると男のほうも不気味になる。男には恋人がいて、その恋人が男を引っ張って女の家におしかけ、夫に向かって怒鳴りつけるありさまである。

結局常盤が反省することで事態は収束する、というようなことになっている。ストーカー行為というのは、心の病を抱えており、そう簡単にはやめられないというのが実際のところだと思うのだが、この映画は、常盤を破綻させずに、なんとか丸く収めたという印象だ。

だれかの木琴というタイトルは、常盤の心象風景を現したもののようである。なお、バック・ミュージックは、陽水の「傘がない」のメロディをアレンジしたものが流される。またエンディングテーマには、これも陽水の曲「最後のニュース」が流れる。




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