壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真西洋哲学 プロフィール掲示板


北野武「菊次郎の夏」:母恋のロードムーヴィー



北野武の1999年の映画「菊次郎の夏」は、北野にしては珍しくロードムーヴィーである。北野演じる菊次郎という風来坊が、母親に捨てられた子供とともに旅に出る。目的は、とりあえずは、愛知県の豊橋に住んでいる子どもの母親に会いに行くことだが、ついでに菊次郎も自分を捨てた母親に会いに行こうとする。その結果、子どもの母親は他の男と結婚して自分の新しい家族をもっていることがわかり、菊次郎の母親は老人ホームの嫌われものになって生きていることがわかる。そんな事態を前にして、子どもも菊次郎も自分の母親に会う気持ちになれないという、悲しい物語だ。

こんな具合で、この映画は悲劇的な筋立てになっているのだが、北野がそれを作ると喜劇的な色彩を帯びる。実際この映画は北野一流のギャグがあふれており、ドタバタ喜劇としての面ももっているのだ。しかし、基本的にはロードムーヴィーといってよいだろう。北野と子どもが旅先で出会う様々な人々や奇妙な体験がこの映画を彩っているのである。

かれらは東京の下町浅草を出発して、途中ヒッチハイクのようなことをしながら、愛知県の豊橋までゆき、また浅草に戻って来る。新幹線に乗らないのは、金がないからだ。菊次郎は女房から旅費として五万円もらったのだが、それを競輪ですってしまい、文無しになってしまったのだ。つまり菊次郎は博打好きのプータローといったキャラクターなのだが、子どもを愛知県まで連れて行ってやるという点では、気のいい男なのである。その気の良さが、人から憎まれないどころか、かえって親しまれる所以となるのだが、それは本物のやくざには通じず、ぼこぼこにされたりもする。

とにかく菊次郎は乱暴な男で、だれかれかまわず罵り倒すのである。それでも一流の気の良さを発揮して東海道をひたすら西に進み、豊橋までゆくことができた。帰りは、道中知り合った芸術家崩れに東京まで車で送ってもらう。その一月ばかりの旅は、子どもの心によき思い出として残るに違いない、といったメッセージを暗黙のうちに発しながら映画は終るのである。

なお、菊次郎という名は、映画の最後のところで初めて出て来る。子どもが「おじさんの名前はなんていうの?」と訪ねると、「きくじろうだよ、ばかやろ」とぶっきらぼうに答えるのだ。かれは何をしゃべるにも、かならず「ばかやろ」と付け加えないではいられないのである。



HOME日本映画北野武次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2019
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである