壺齋散人の 映画探検
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大林宜彦の映画「あの、夏の日」:少年と祖父の心の交流


大林宜彦の1999年の映画「あの、夏の日」は、少年と祖父との心の交流を描いた作品。「新尾道三部作」の一つとして作られたが、このシリーズは、尾道市政百周年を記念する企画の一環だった。

尾道に暮らす祖父に、東京で暮らしている孫が、夏休みを利用してあいにゆく。祖父は最近痴呆の症状が激しいので、その見張りをするように両親から言われて送り込まれたのだった。祖父はたしかにボケ気味ではあったが、完全にボケているわけではなく、また、孫を遊びに連れて行ったり、やさしい側面も見せる。そんな祖父に対して孫は次第に強い愛着を感じていくと言うような内容である。

祖父の少年時代の出来事が、現実と交差する形で現れる。少年時代の祖父には、心を寄せている少女がいたり、その少女が暮す寺にまつわる出来事が少年である祖父の心をさいなんだりいたりと、過去のことが今現在のことのように現れる。その過去と現在とを、祖父は孫を伴って自由に行き来する。空を飛んでいるうちに、時空をまたいでしまうのだ。副題の「とんでろ、じいちゃん」は、そんな祖父の不思議な能力に言及しているのである。

祖父を小林桂樹が演じている。小林は必ずしも器用な俳優ではないが、そのある種不器用さが、この映画ではかえって光っている。動作や言葉のぎごちなさが、頑固でしかもボケた老人に似合っているのである。

祖父は、孫の夏休みが終わらないうちに死んでしまう。その死の床で、孫が「死んでしまうの」と聞くと、祖父は「そのようだな」と答える。自分の死を淡々と受け入れるその姿勢が見る者になにかを訴えかける。その祖父が死んだ直後に、祖母もあとを追うように死ぬ。祖父がわざわざ呼んだのだ、と孫は考える。仲のよい夫婦には、片方が死ぬともう片方がその後を追うようにして死ぬ、というのはよくあることだ。

思春期の少年少女を描くことにこだわってきた大林が、思春期に達しない前の、ちいさな少年少女を情感たっぷりに描いている。不治の病にかかった少女を演じた宮崎あおいは、この時十四歳だったが、映画の中では十一歳の少女を演じており、年齢にふさわしい演技をしていた。


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