壺齋散人の 映画探検
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佐々木昭一郎「ミンヨン 倍音の法則」:倍音と戦時中の日本



「ミンヨン」は韓国人の若い女性の名、「倍音」はハーモニーのことである。この二つをタイトルに含んだ映画「ミンヨン 倍音の法則」は、ミンヨンという韓国人の若い女性がハーモニーについて語るというような内容である。それだけでは映画にならないから、ミンヨンが戦時中の日本にワープするという物語を絡ませている。ただワープするだけではなく、日本人女性に変身するのだ。

映画はだから、二つのメッセージからなる。一つは倍音について語ること、一つは戦時中の日本について考え直すことである。戦時中の日本にあわせて現代日本も批判的な視点で見られる。かなり重層的な構成の映画である。

倍音については、美しいハーモニーの代名詞のようになっているモーツァルトの音楽を流しながら語られる。モーツァルトの作品のうち、シンフォニー41番(ジュピター)とピアノコンチェルト22番がたえず流され、それ以外にもさまざまな楽曲が背景音楽として流される。その流し方は、ハーモニーを意識させるようになっている。だから音楽に素養のないものでも、ハーモニーが楽しめることになっているわけだ。

ハーモニーはそもそも自然の音に含まれている。その音を人工的に作ることから音楽が生まれた、と小沢征爾は言っているが、ではハーモニーに欠ける日本の音楽はどうなのか。この映画を見ていると、日本の音楽にも、実はハーモニーが含まれると思うようになる。というのは、日本の音楽は人間の声を主要な要素にしているが、その声が重なるとおのずとハーモニーになるのだ。人間の声には、それぞれ絶対音程の相違があって、それらが斉唱という形で重なるとおのずとハーモニーが生み出されるのである。その事情がこの映画からよくわかるようになっている。ミンヨンの声について、それが絶対音程のどれに相当するかと問う場面があって、音楽家の武藤英明が、ピアノの鍵盤を叩きながら、ドのシャープだと言う。そこから以上述べたような連想が浮かんでくるのである。

戦時中の日本においては、ミンヨンの夫が軍部批判を理由に迫害され、果ては殺害される経緯が描かれる。また、ミンヨンが子どもを田舎に疎開させたところ、いじめにあって逃げてくるというような挿話もある。そういう挿話をつうじて、全体主義的な風潮が強かった当時の日本の息苦しさを描いているわけである。ところでなぜ戦時中の日本なのかという疑問については、ミンヨンの祖母がかかわってくる。祖母が親しくしていた日本人に会いたくて、ミンヨンは日本を訪れ、ついでに戦時中の日本にワープするのである。その戦時中に住むことになる家というのが、小石川の銅御殿だ。もっともこれは建築物を借用しただけで、御殿の持ち主はこの映画とはかかわりがないようだ。

現代日本については、たまたま出あったストリートチルドレンとか、学校の同級生でフリージャーナリストの男が出てきたりする。その男とストリートチルドレンの男の子は、ミンヨンの戦時中の夫と子どもなのだ。彼女らの学校というのは早稲田大学のことで、大隈講堂が繰り返し映される外、ミンヨンは早稲田の応援歌「紺碧の空」を歌う。また、筆者の住んでいる船橋も出てくる。船橋には私立交響楽団があることになっているが、そんなものが船橋にあるとは、小生は迂闊にも知らなかった。船橋は行政サービスがお粗末で、ゴミの収集回数も少ないのだが、その分浮いた金でオーケストラを養っているのだろうか。船橋は文化とは無縁な町だと思っていたが。

ところが以上すべては、ミンヨンが転寝のなかで見た夢だったということが最後に明らかにされる。ミンヨンはソウルの家で両親及び妹のユンヨンと一緒に暮らしているのである。

ミンヨンを演じた女優は、やはりミンヨンという名なのだそうだ。一重瞼におちょぼ口が売りで、歌麿の美人を思わせる。監督の佐々木昭一郎はテレビ作家で、映画はこれが初仕事だそうだ。



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