壺齋散人の 映画探検
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市川崑「ビルマの竪琴」:竹山道雄の小説の映画化



市川崑の1956年の映画「ビルマの竪琴」は、竹山道雄の同名の小説を映画化したもの。竹山はこれを児童向けに書いたので、小学校の教科書に取り上げるところもあった。小生も小学校時代に教科書でこれを読まされたことがある。ところが全くと言ってよいほど、内容を覚えていない。昔のことで記憶が飛んだのかといえば、そうばかりとも言えない。同じ時期に読んだ豊田佐吉の伝記などはよく覚えているからだ。

少年の心にほとんど何も残さなかったのは、原作に理由があるのだろう。竹山は愛国者を自認していて、戦後自信を無くした大人たちにかわって、少年少女に愛国心を教えてやろうと思ってこの小説を書いたようなのだ。だから、どうしても説教調になる。その説教調が、少年の心に押し付けがましさを感じさせたのではないか。

竹山はこの小説を、全く何らの取材をすることなく、自分の空想だけをたよりに書いたと言っている。この小説があまりにも現実離れしているばかりか、空想じみて見えるのは、竹山の空想に現実的な根拠がないからだろう。これは敗戦前後にビルマに駐在していた日本軍の兵士を描いたものなのだが、当時ビルマにおける日本軍は、アウンサン将軍率いるビルマ国軍からも敵視されていて、要するに敗残の遊兵集団と化していた。遊兵の境遇がどれほど悲惨かは、大岡昇平のフィリピンを舞台にした一連の小説によっても、広く知られていたはずだ。竹山もそうした事情を知ることができたはずだが、原作の小説には、そのような切迫感はない。なにしろ、戦場で部隊一丸となって唱歌を合唱するくらいなのだ。しかもその唱歌を通じて、現地住民と心の触れ合いをしているといった具合に書かれている。戦場の現場を知っている人間が読んだら、竹山の能天気さにあきれたはずなのだが、おそらく復員も進んでおらず、竹山の愛国小説はそのまま日本の教育現場に取り入れられていったのであろう。そういう点では、非常に欺瞞的な作品といわねばならない。

その竹山の原作を、どういうわけか市川崑は忠実に映画化したということである。この映画化の企画が持ち上がったときには、日本の映画会社がビルマでロケをするような状態ではなかったので、撮影は日本国内で行ったそうだ。俳優もみな日本人である。ビルマ人の老婆を北林谷栄が演じているが、この映画には、女性として出てくるのは彼女だけなのだ。そういう点では完璧な女性不在映画である。

市川崑といえば、大女優の高峰秀子にかわいがられたことで有名だが、高峰は市川のどんなところを気に入ったのだろうか。市川は竹山の原作を1985年にも再度映画化している。そちらのほうは、どうも見る気にはならないが、やはり原作の雰囲気に忠実ということらしい。


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