壺齋散人の 映画探検
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塚本晋也「ヴィタール」:記憶喪失者の人体解剖



塚本晋也の2004年の映画「ヴィタール」は、あいかわらず塚本らしさがにじみ出た荒唐無稽な作品である。塚本といえば、鉄のスクラップでできた男がわけのわからぬ活躍ぶりを見せるというのが定番だったが、この「ヴィタール」に出てくる男は記憶を失い、潜在意識だけで動いているような、これもまた不思議な男で、その男が医学生となって人体解剖をするのである。そんなわけだから、この映画は「人体解剖」がテーマだといってよい。ところが、その男が解剖するのは、かつて自分の恋人だった女というのがみそである。そのかつての恋人に、男を新たに好きになった女が激しく嫉妬する。彼女も医学生なので、男と一緒に解剖の現場にいるのだが、自分の解剖している女を、男が自分よりも愛していることに、激しく嫉妬するのである。

映画は、かつて千住にあったお化け煙突を思わせるような四本の煙突を映し出すことから始まる。なぜこんなものを映し出すのかと思っていると、映画の最後の方でも出てくる。その最後のシーンは献体を火葬する場面であるから、これはもしかして火葬場の煙突をイメージしているつもりなのかもしれない。だがいまどき煙突から煙を吐き出す火葬場などないし、だいいち四本も並んでいることもありえない。その前に疑問なのは、人体解剖をした残りを、火葬場で焼くことなどありうるかということだ。すくなくとも東京圏の火葬場で、人体解剖の火葬を受け入れるところなどないはずだ。むかし一部の火葬場で堕胎した胎児の火葬を受け入れていたところがあっと聞いたことがあるが、それもとっくの昔になくなったはずだ。

主人公の男は、交通事故で記憶をなくしたことになっている。だが、医学生の勉強は続けているわけだから、知的な能力が衰えたわけでもない。その男が、一方では医学生として勉強にはげみ、新しい女と楽しみながら、壊れた記憶の中では、昔の女とじゃれあっている。男はその女を自分の車に同乗させ、事故に巻き込まれて、その女を死なせていたのだった。女は生前献体の意思を表明しており、それに基づいて男の通う学校の献体としてやってくるのだったが、男は当初はそれと知らず女を解剖するうちに、それがかつての自分の恋人だったことを思い出し、愕然となる、というような内容である。

こんな具合に、ほとんど意味のないナンセンス映画といってよい。塚本にはナンセンスを好む傾向がつよくあり、それがこの映画にも現れたということだろう。




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