壺齋散人の 映画探検
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イングマール・ベルイマン「恥」:内戦に翻弄される人々



イングマル・ベルイマンの映画「恥(Skammen)」は、内戦に翻弄される人々を描いた作品である。この映画が作られたのは1966年であるから、当時の観客は同時期に進行中であったベトナム戦争を想起したようだが、今日これを見ると、シリアの内戦が思い起こされる。政権側と半政権側が激しく対立し、市民はその対立に翻弄される。政権側の言うことをきくと反政権側から殺され、反政権側の言うことをきくと政権側から殺される。挙句は生活基盤を悉く破壊され、安全を求めて外国に逃れる。しかしその道も容易ではない。ボートで漂流する難民たちを待っているのは過酷な運命だ。全くこれと同じようなことが、この映画の中でも描かれている。

ベルイマンがなぜ、このような映画を作ったか。その背景はよくはわからない。ベトナム戦争は、ベトナム人同士が南北に分かれて戦った内戦としての側面もあるが、アメリカによるベトナム支配のための侵略戦争だったという見方もある。だからこの映画を、もっぱらベトナム戦争と関連づけてみるのは片手落ちかもしれない。また、ベルイマンは、反政府側を革命軍として描いているので、もしかしたら共産主義勢力への嫌悪感を表現したかったのかもしれない。当時は冷戦の真っ只中で、西側諸国は国内の共産主義者による間接侵略を真剣に恐れていた。この映画の中で描かれた内戦は、共産主義者の引き起こしたものだとのメッセージが伝わってこないでもない。

しかしベルイマンは、反政権側だけを一方的に悪いというふうには描いていない。政権側と反政権側は、イデオロギーの如何は抜きにして、対等の立場で戦っているように描かれている。戦争という暴力の前では、どちらが正義かなどということはナンセンスだ、そうベルイマンは考えていたのだろう。戦争は理不尽な暴力以外の何ものでもない。それはいかなるイデオロギーによっても合理化されえない。ベルイマンはそんなふうに考えたのではなかろうか。

マックス・フォン・シドーとリヴ・ウルマン演じる中年の夫婦が、戦争の惨禍を避けて島に疎開をしている。だが戦争の影はこの島にも押し寄せてきて、彼らの平和だった生活がかき乱されるようになる。彼らのもとには反政権側と政権側の両方から圧力がかけられる。反政権側は革命への忠誠を要求し、政権側は反政権分子を弾圧しようとする。この夫婦は、政権側によって殺されそうになるが、市長の意向で危機を逃れる。市長は妻に横恋慕をしていて、助けてやった見返りに体を求めてくるのだ。

妻は自分たち夫婦の安全のために、市長の要求に屈する。妻が市長に強姦されているのを知っていながら、夫は何もすることが出来ない。それは、強姦された妻にも、それを見過ごした夫にも、大きな恥辱感をもたらす。その恥辱感は、彼らの生きる意志を損なうほどの激しさだ。映画の題名「恥」は、この恥辱感を表現したものだろう。あるいはもうすこし大きな文脈のうえで受け止めて、戦争そのものが人間として恥さらしな行為だといえるのかもしれない。

夫は妻を犯された腹いせに市長を殺し、更に通りがかった政権側の脱走兵を殺す。何故この若い脱走兵を殺さねばならなかったのか。その事情は丁寧に説明されてはいない。戦争が人間を異常な状態に追いやってしまい、そこではどんな不条理なことも起きうる、と言っているかのようだ。

脱走兵から、外国へ向かうボートのことを聞いた夫は、妻と共にそのボートに乗り込む。数人の市民が一緒に乗り込み、安全な地を目指すが、そんな場所はどこにも存在しないということの隠喩のように、ボートは行き先を見失って海上を漂流するのだ。そのボートの周りにおびただしい数の死体が寄ってきて、ボートの行き先を阻む。夫は必死になって死体を掻き分けようとするが、その努力をあざ笑うかのように、死体の数が次第に増えてきて、ボートはその上に座礁しかねない有様だ。結局一切の努力を放棄した夫と妻は、ボートの上に横たわって運命の流れに身をまかす。彼らを待っている運命には、いくばくの光も感じられないだろう。

こんなわけでこの映画は非常に陰惨な印象を与える。ベルイマンのなかのペシミスティックな部分が最もストレートに表現されたもののように見える。

なお、夫婦が政権側に捕らえられたシーンで、不条理な扱いに動転した妻が夫に向かって次のようにつぶやくところがある。「悪い夢をみているよう、というか、他人の夢の中に出ているみたい」。他人の夢の中で不条理な扱いを受けるというのは、まるでカフカの世界そのままだ。自分の夢なら割り切りもつくが、他人の夢では如何ともしがたい。そこは自分自身の世界ではないので、自分で自分の始末をつけることもできない。



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