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ビフォア・ザ・レイン:マケドニアの民族対立を描く




1991年以降、ユーゴスラビアの解体に伴って、大規模な民族紛争が起きた。なかでもクロアチアとボスニアをめぐる紛争は、従来一つの国民を構成していたもの同士が、血で血を洗う凄惨な殺し合いに発展した。そんななかで、ユーゴスラビア最南部のマケドニアにおいては、マケドニア人とセルビア人勢力との対立は表面化しなかったようだが、マケドニア人とアルバニア人との対立がくすぶり続けた。1994年に公開されたマケドニア映画「ビフォア・ザ・レイン」は、そんなマケドニア人とアルバニア人との対立をテーマにしている。

マケドニア人とアルバニア人は、人種的には南スラブ人ということになっており、言語にも共通性があると言われるが、映画の中では、互いに言葉も通じない異民族同士ということになっている。マケドニア人がギリシャ正教を奉じ、アルバニア人はイスラム教を奉じていることから、文化的な違いが、言語・風習の違いを助長したのかもしれない。

映画は、マケドニア内のある村を中心にして展開する。その村にはマケドニア人とアルバニア人とが隣り合って暮らしており、日頃から仲が悪いようだが、それがユーゴスラビアの解体によって、仲の悪さが高じて、互いに殺しあう事態に発展しかねないといった、のっぴきならぬ状況が生まれつつあるということになっている。映画はその民族的な緊張をテーマにしているわけだ。題名の「ビフォア・ザ・レイン」は、嵐の前の静けさといった意味合いで、対立の激化を予想させる言葉である。

三部構成でできていて、筋書きとしてはやや複雑である。第一部では、マケドニアの修道院を舞台に、そこの若いマケドニア人修道僧と、修道院に逃げ込んだアルバニア人の娘とのはなかい愛を描く。娘はある人を殺したために、マケドニア人に追われているのであるが、そのマケドニア人ではなく、アルバニア人でしかも自分にとっては親戚の人々によって殺されてしまう。

第二部はロンドンが舞台だ。そこでマケドニア出身の男女が愛し合っている。女は雑誌の編集者で、夫もいるのだが、同国人の写真家を深く愛している。男は一緒にマケドニアに戻りそこで暮らそうと持ち掛ける。そこで、女は夫との間で関係の清算をしなければならないと感じ、レストランで別れ話をしているところに、わけのわからない通り魔のような男に襲われ、夫は射殺されてしまうのだ。

この写真家らの男女がなぜここで出て来るのか、よくはわからない。ただ、第一部で若い修道僧が、娘と一緒にロンドンに逃げようという場面があり、ロンドンには頼るべき親戚がいると言っていたが、その親戚にあたるのがどうやら雑誌編集者の女らしいのだ。そんないくばくかの縁を通じて、第一部と第二部はつながっているのだが、物語展開の上では、なんらのつながりもない。それどころか、第二部は第一部より時間的には前の出来事だったということが、映画の最後で明らかになる。

第三部は、一人マケドニアに帰った写真家の男が、そこでマケドニア人とアルバニア人との対立に巻き込まれ、最後には自分の仲間によって殺されるところを描く。彼が殺されたのは、アルバニア人の少女を救おうとしたためだったのだが、その少女と言うのが、第一部で出て来た少女なのである。ということは、第二部と第三部は第一部の前段の話というわけなのである。

こんなわけでこの映画は、マケドニアとロンドンを舞台にして、ユーゴスラビア解体後のマケドニアにおける民族対立を描くところに主題があるのだが、そしてその意味ではかなり政治的なメッセージ性に富んだものなのだが、我々日本人にとっては、マケドニアの風土とか習俗が新鮮なイメージで伝わって来るところが興味深い。

とりわけ興味深かったのは、映画の冒頭での修道院内部の様子だ。そこで修道僧たちが讃美歌を歌う場面があるが、その歌のメロディが、あのエディット・ピアフの歌った讃美歌風の歌(三つの鐘)のメロディによく似ている。そういうのを聞かされるとギリシャ正教とカトリックとが根っこのところで通じ合っているということが納得される。

なお、この映画の中では、アルバニア人社会のイスラム色は極力抑えられている。どういう意図からかはわからない。





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