壺齋散人の 映画探検
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オタール・イオセリアーニ「皆さま、ごきげんよう」:年代記のフランス



グルジア人の映画作家オタール・イオセリアーニにはファンタスティックな傾向があって、2015年にフランスで作った「皆さま、ごきげんよう(Chant d'hiver)」は、そうしたファンタスティックな傾向が極端に現われた作品である。

映画は三つの時代をカバーしている。フランス革命時代のパリ、そこでは貴族が公開処刑でギロチンに首を刎ねられ、その様子を大勢の女たちが見物している。切り落とされた首は一人の女に払い下げられる。女はその首をエプロンに包んで大事に持ち帰るのである。

次は、どこかは判らないが、どこかの国で行われている戦争の場面。その戦争では、軍隊が民間人を襲撃し、殺戮、略奪、強姦の限りを尽くす。現代のミャンマー軍も顔負けの暴虐ぶりだ。どこの国の軍隊かはわからない。フランス映画ではあるが、フランス軍ではない。制服の様子からみると、イオセリアーニの祖国グルジアの軍隊のようにも思われるが、確証はない。

三つ目に、現代のパリが舞台となって展開する。これが映画の圧倒的な部分を占めている。ところが、これら三つの時代の映像は、物語上は全くといってよいほど関連がない。三つ目の現代パリの部分内部でも、さまざまに映し出されるシーン相互に殆ど関連性は認められない。ということは、この映画は、ストーリー性を一切無視して、さまざまな出来事の映像を脈絡もなく並べているということだ。だからといって、何の意味もないというわけではない。それぞれのシーンに隠された意味があるように伝わってくる。

この三つの部分に無理に関連をつけようとしたら、一番目のシーンに出てくる首と、三つ目のシーンで出てくる骸骨との間にまず注目することが出来るかもしれない。三つ目のシーンは、骸骨を収集する趣味を持った老人と、その老人と同じアパートに住み、違法な商品の密売に従事している老人を中心に展開して行くのである。そのほか、廃墟に大家族で住んでいて、そこからの立ち退きを迫られている老人とか、アパートの住人で、町でひったくりを働いている若者の集団とか、なんとか女を手に入れようと思っている独身男とか、かれらの住んでいるアパートを監視している警察署長とか、公園にテント村を作って住み着いているホームレスたちとか、売春ビジネスをやっている二人組みの女とか、いろいろと出てくるが、それらの人物相互には大した結びつきはない。

これも無理な解釈になりそうだが、三つ目のシーンで出てくる窃盗団の働きが、二つ目のシーンに出てくるどこかの国の軍隊の行動と似ていなくもない。どちらも他人から略奪するのだが、違うところは、軍隊が権力を行使して略奪するのに対して、窃盗団のほうは権力に逆らって盗みとるところだ。

その権力を、はげ頭の警察署長が体現している。かれはアパートの住人を監視し、その情報をもとに住民を弾圧するほか、ホームレスのテント村を襲撃して、かれらを荒地に放り出したりする。かつて東京都の知事だった青島幸雄が同じようなことをやったものだ。青島は任期を全うしたが、この警察署長はひどい目にあわされる。マンホールに突き落とされて、そのまま下水に流されてしまうのだ。その挙句、大きな下水口から野原に吐き出されるのである。

映画のなかの唯一のハイライトといってよいのは、密売老人と骸骨老人が、一人の老嬢をめぐって恋の鞘当を演じるところだ。フランス人の好色ぶりは世界に冠たるものといわれるが、その好色は年老いても衰えないというわけであろう。

とにかく荒唐無稽といってよいような、メチャクチャな映画である。それでいてなかなか考えさせられるところもある。こういう映画は、凡庸な人間には決して作れない。



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