壺齋散人の 映画探検
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灰とダイアモンド:アンジェイ・ワイダの映画



アンジェイ・ワイダの1958年の映画「灰とダイアモンド」は、「世代」、「地下水道」とともに、「抵抗三部作」と言われている。抵抗といっても、それぞれによって意味合いが異なる。「世代」はナチスの占領に対するパルチザンのレジスタンスを描き、「地下水道」はいわゆるワルシャワ蜂起をテーマにしていた。それに対して「灰とダイアモンド」は、ナチスドイツの降伏にともなって生じたポーランド内部の政治的な対立を描いている。ロンドン亡命政府とパルチザンを母体とした革命勢力の対立である。この対立について、ワイダはどちらかというと亡命政府側に立っているように見える。にもかかわらずこの映画は、時の政権の検閲をパスして、ポーランド国内での上映を許可された。

舞台はポーランドの一地方都市。そこに革命勢力の幹部シュツカが赴任してくる。そのシュツカを殺害する命令を受けた三人組が、途中で待ち伏せ殺害しようとする。ところがあやまって関係のない二人の農夫を殺害する。しくじったことを知った三人は、名誉挽回を試みる。幸い本来の標的シュツカがかれらの泊まっているホテルに滞在した。なんとか機会をとらえて、その男を殺害したい。そう願うところだが、三人三様の考えがあって、一緒に任務に取り掛かることができない。なぜそうなのか。映画は、任務失敗後の三人それぞれの行動を追いながら、かれらの心理を明らかにし、最後にはマチェクという青年が単独でシュツカの殺害を成功させたうえで、自分自身は銃撃をうけて死んでいく過程を追う。三人が任務の遂行に失敗してから、マチェクが死ぬまでの間、わずか一昼夜の出来事を、この映画は緊迫感をもって描き出すのである。

ナチス降伏後のポーランドには、一時的に権力の空白が生まれた。チャーチルらの筋書きでは、ロンドン亡命政府に権力を握らせるはずだったが、ポーランドの解放を担ったのがソ連軍だったということもあり、ソ連軍を後ろ盾にした革命勢力が権力を掌握しつつあった。その革命勢力に対抗する動きも各地に生じ、内戦の可能性も高まっていたという状況を背景に、この映画は、革命勢力に対抗するロンドン亡命政権の動きを追っているわけである。映画に出てくる三人はそのエージェントなのである。

三人のうちひとりは自分の境遇に自信がもてなくなって、精神錯乱気味になる。マチェクは酒場で知り合ったウェイトレスと仲良くなる。そんな仲間を年長のアンジェイは苦々しく見ている。しかし結局本来の標的であるシュツカを殺害したのはマチェクだった。シュツカは息子が亡命政権側についたことで逮捕されたことを知り、なんとか釈放させようと息子のもとに向かったところをマチェクに殺されるのである。そのマチェクは、逃走の途中に警備兵によって見とがめられ射殺される。大した理由はない。不審なうえに拳銃をもっていることを怪しまれたのだ。撃たれたマチェクは、ゴミ捨て場で息絶える。その絶命のシーンを映し出しながら映画は終わるのだ。

見どころは、マチェクがウェイトレスのクリスティーナとともに墓地をさまようところ。墓地に隣接した教会には、マチェクらが誤って殺した農夫たちの遺体が横たわっているが、そのことにマチェクは何も感じない。クリスティーナは、墓地に建てられた石碑を読む。そこには、お前の持っていたものはすべて灰になるだろうと記されている。そのことを聞かされたマチェクは、ダイヤモンドの輝きはどこに失われたのか、と付け加える。灰になるだろうというのは、共産主義がこの世を破壊するだろうという意味で、ダイアモンドの輝きとは自由世界とそれを体現すると称する亡命政府のことを指すのだろう。ワイダはこの一対の言葉で、ポーランドの革命勢力への忌避感と、亡命政府への共感をあらわしているわけである。

ともあれこの映画は、ポーランド映画のなかではもっとも有名な作品である。




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