壺齋散人の 映画探検
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イギリス映画「オフィーリア」 ハムレットをオフィーリアの視点から描く



2018年のイギリス映画「オフィーリア(Ophelia クレア・マッカーシー監督)」は、シェイクスピアの「ハムレット」をオフィーリアの視点から描きなおした作品。ただ改作の度が過ぎて、原作を大きく逸脱し、まったく別の物語になってしまっていると言ってよい。アルチュール・ランボーをはじめ、オフィーリアに強いこだわりを持つ人がこれを見たら、あきれ返るのではないか。

オフィーリアが前国王殺害の経緯を知っていたこと、ハムレットと結婚したこと、小川に身を投げたのは追われる立場だったからで、死ぬことはなく生き返ったことなど、原作とは全く異なったストーリー展開になっている。しかも魔女を登場させて、マクベスの魔女たちのような役割を果たさせている。唯一原作と変わらないのは、ハムレットが国王の暗殺計画を生き延びたことくらいだ。また、ラストがレアティーズとの決闘である点も同じだが、そこにはオフィーリアを立ち会わせている。

原作の内容を大きくねじまげてまでハムレット劇にこだわったのは、原作が男の視点から書かれており、オフィーリアを含めて女性の視点が全く欠けてることに、この映画の監督クレア・マッカーシーが反発を覚えたからか。マッカーシーは女性のようである。その女性の視点から、原作を読みなおしたらどうなるか、それを観客に考えてもらいたいということか。

ハムレット劇の最大の見せ場である前国王の幽霊登場とか、例の to be or not to be をはじめとする独白などは省かれている。これは、映画がオフィーリアの視点から作られており、オフィーリアが居合わせていないシーンを挟むわけにはいかなかったからだろう。そのため、原作との乖離が余計に大きくなってしまったわけだ。

原作の墓掘の場面は、埋葬されたオフィーリアをホレーショが掘り出すというふうに変えられている。オフィーリアは、ヘビの毒を飲んで仮死状態になったあと、埋葬された棺のなかで生き返り、ホレーショに掘り出してもらうのだ。ヘビの毒は魔女から手に入れたものだ。原作には出てこないその魔女が、この映画では大きな役割を果たしている。その魔女は、この映画では、クローディアスの子を孕んだことになっている。どうでもよいことかもしれぬが、ちょっとやりすぎだろう。




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