壺齋散人の 映画探検
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ラスト・オブ・イングランド:デレク・ジャーマン



「ラスト・オブ・イングランド」は、イギリスの終末という意味だ。終末であるから、イギリスという国の滅亡を意味しているわけだ。世界ではなく、イギリスが滅亡するというのはどういうことか。そこには、デレク・ジャーマンの個人的な事情がひそんでいるようである。ジャーマンは、前作「カラヴァッジオ」の制作を終えた頃、HIVの陽性が判明した。同棲愛者のジャーマンにとっては、宿命的な成り行きだった。ジャーマンは死を強く意識したのだろう。その死の意識がこの映画には反映しているのではないか。ジャーマンにとって、自分が死んだ後も、イギリスが存在し続けることは、ありえなかったのだ。なにしろイギリスは、マクベスを生んだ国だ。そのマクベスは、自分が死んだ後も世界が存在し続けることは絶えられないことだと叫んだのである。ジャーマンにとっては、世界ではなく、とりあえずイギリスが問題だった。そこでイギリスは、自分の死と運命を共にすべきものと考えたのだろう。

イギリスの終末を裏書きするような、破壊のイメージがあふれている。映画には一切の筋書きはない。さまざまな映像が、意味も脈絡もなく継起し、重なり合う。観客はそこに何らかのメッセージを読み取ろうとしても無駄である。これらの映像には、メッセージ性はないといってよい。メッセージというのは、コミュニケーションを前提としているのだが、これらの映像にはコミュニケーションを拒むようなところがある。唯一コミュニケーションの要素があるとすれば、それは暴力と破壊とセックスとりわけ同性愛の賛歌といったところか。

同性愛といえば、ジャーマンにとっては自分の宿命といえるものだ。そのために自分はやがて死ぬ運命だ。しかしジャーマンはその死の予感に打ちのめされているわけではないようだ。それは、映画の冒頭部分で、ジャーマンらしき男が、ある男を映した巨大な写真を相手にマスターベーションに耽るところや、巨大なユニオンジャックの上で男たちが性的遊戯に熱中するところを強調していることからもわかる。この映画は、ジャーマンの同性愛賛歌といった要素が強く、いたるところゲイの同性愛を思わせるシーンが出て来る。

次から次へと継起する映像は、まともな意識に映った像と言うよりは、深層意識から浮かび上がって来たもののように思える。映像には、赤やブルーといった、サイケデリックな色彩のベールが覆いかぶさっている。その色彩感覚は、目覚めた意識のものではない。夢には色はないというが、その夢に色があったら、こんな色だろうと思われるようなものだ。夢には色はないとしても、深層意識にはそれなりの色があるのかもしれない。小生は、自分の深層意識の世界を、そのままに目撃したことはないが、人によっては、深層意識の世界を目撃する特技を持つものもあるらしい。ジャーマンもその一人なのかもしれない。この映画は、ジャーマンの深層意識に映った世界を、そのままに表現している可能性がある。

映像の多くは、破壊を表現している。都市の破壊、集落の消失、人間の殺戮、そうした破壊にまつわる映像が、次から次へと脈絡もなく継起する。破壊のうちでもっとも深刻なのは、いうまでもなく原爆であり、この映画にも、ヒロシマ・ナガサキという言葉が出て来る。破壊を行うのは無論権力だ。権力の秘密主義が、人間の世界を破滅させるというアナウンスも流れる。テロリストも出て来るが、かれらもまた、破壊者として紹介される。これらはジャーマンの深層意識が捉えたイメージということなのだろう。ジャーマンは、一切の暴力を否定しているようだ。

この映画を、意味論的に読み解こうとしても、無駄に終わるだろう。この映画には、一切の解釈を拒むところがある。唯一意味あることとして受け取れるのは、ジャーマンの破壊への嫌悪と、同性愛への渇望くらいである。




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