壺齋散人の 映画探検
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ウィリアム・ワイラー「偽りの花園」:ベティ・デーヴィスの悪女ぶり



ウィリアム・ワイラーの1941年の映画「偽りの花園(The Little Foxes)」は、ベティ・デーヴィスを悪女役にして、人間の欲望を描いた作品である。ベティ・デーヴィスは、独特な容貌からして、悪女の雰囲気を漂わせているのだが、この映画の中では、そういった雰囲気を前面にだして、見事な悪女を演じている。ワイラーは、前年に作った「月光の女」でも、デーヴィスに悪女を演じさせていたが、それに比べても、この映画のなかの彼女の悪女ぶりは光彩を放っている。こんな悪女になら、悪事を働かれても文句は言えない、と思わせられるほどである。

舞台は、1900年のアメリカ南部。銀行家の妻をデーヴィスが演じ、その二人の兄とともに、金儲けの算段をするのに余念がない。二人の兄は綿花工場を経営して一儲けしようと考えている。それに妹のデーヴィスを巻き込んで、その亭主で銀行家である男から、出資してもらおうともちかける。それにデーヴィスは乗るのだが、亭主のほうは協力しようとしない。そんな亭主をデーヴィス演じる妻は憎悪する。彼女らの夫婦関係はすでに破綻していたのだが、この話をめぐって一層険悪になるのである。そのあげく、亭主は急な発作で死ぬ。ところが、デーヴィスは夫を助けようとはせずに、かえって死を早めるような行動にでるのである。

そんな母親の悪辣ぶりを目の前にした娘(テレサ・ライト)は、父親を深く愛していることもあって、母親に愛想をつかす。彼女には、新聞記者の恋人がいて、母親を捨ててその恋人のもとへ去るのである。そんな娘の後ろ姿を母親のデーヴィスは冷然と見送る。彼女にとっては、家族との親愛よりは、金の魅力のほうが大きいのである。

そんな具合に、救いようもなく壊れてしまった家族関係が主なテーマである。そんな家族はいくらでもあるだろうが、1900年ごろのアメリカでは、家族のきずなが最大の価値とされていたので、このように分裂していがみ合う家族像は、当時のアメリカ人にとってはショッキングだったはずだ。しかも家族を分裂させるのが金とあっては、いっそう救いがたいと受け取られたのではないか。

アメリカ南部を舞台にしているところは「黒蘭の女」と同じである。アメリカの南部には、北部の工業地帯とは違った独特の住民気質があるようで、その住民気質を、この映画の中でも強く感じさせるような演出になっている。北部の工業地帯の住民気質は、アメリカンドリームといわれるような成功物語的なものだが、南部にはそれに加えて、伝統を重視する傾向が強い。その傾向は、たとえば家柄の重視というところに現れる、この映画のなかでも、それが強調されるのであるが、そもそも植民地から出発した土地柄に、伝統とか家柄ということを持ち込むこと自体が、滑稽なアナクロニズムに映る。




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