壺齋散人の 映画探検
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フランク・キャプラ「群衆」:アメリカ庶民の草の根運動



フランク・キャプラの1941年の映画「群衆(Meet John Doe)」は、アメリカ庶民の草の根運動のようなものをテーマにした作品。アメリカの草の根運動といえば、福音主義が主導する宗教リバイバル運動が想起されるが、この映画に描かれた庶民の熱気にも、そうした宗教的な雰囲気が感じられる。面白いのは、この映画が作られたのが1941年、つまりアメリカが第二次大戦に参戦する直前だったことだ。映画には、戦争を連想させるような内容は一切ない、あるのは、民衆の熱気を政治的に利用しようとするポピュリズムへのまなざしである。この映画の意義を一言で言えば、アメリカ人が陥りがちなポピュリズムへのけん制ということになろう。そんなポピュリズムとの関連においては、「群衆」という邦題は、多少の意義があるといえなくもないが、原題のほうが、庶民の熱気をよりストレートに感じさせる。

主人公は、ゲーリー・クーパー演じるマイナー・リーグの元ピッチャー。それがある地方都市の新聞のキャンペーンに巻き込まれる。女性記者が世直し運動を呼びかけるキャンペーンを始め、そのキャンペーンのメーン・キャラクターとして、クーパーに白羽の矢があたったというわけだ。そのキャンぺーは大成功し、社会現象にまで発展する。それに眼をつけた政治家が、自分自身の選挙運動に利用しようとする。それに反発したクーパーは、集会で政治家たちを弾劾しようとするが、返り討ちにあって粉砕されるというような内容だ。政治家たちは、地域の権力を独占しており、警察力も意のままに使えるので、自分にとって不都合なやからは力で粉砕するのである。

キャプラがどういうつもりでこんな映画を作ったか、よくはわからない。だがかれが同時代のアメリカ政治に強い違和感を持っていたとは考えられない。「我々は何故戦うのか」という一連の戦意高揚映画を作っているくらいだから、かれなりにアメリカへの忠誠心はもっていたのであり、したがってアメリカ政治をおちょくるような意図はなかったのだと思うのだが、現物を見る限り、この映画がアメリカを戯画化していることは間違いないようである。

ゲーリー・クーパーは、「オペラ・ハット」に出て以来、五年ぶりにキャプラの映画に出た。この映画の中のクーパーは、ややコミカルな役柄を演じており、シリアスなイメージが強いかれとしては、また違った味わいを感じさせる。なにしろ、若い女にぞっこん惚れてしまうシーンなどは、ほかの映画では見られない。




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