壺齋散人の 映画探検
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フランク・キャプラの映画:代表作品の解説と批評


フランク・キャプラ(Frank Capra)は、ウィリアム・ワイラーと並んでアメリカ映画の全盛期を代表する監督である。ワイラー同様、さまざまなジャンルに挑戦し、しかも映画の娯楽性にも配慮した作品を作り続けた。一番得意な分野は、アメリカ人の理想をテーマにしたもので、人間は正直に生きてさえいればかならず報われるという楽天性がキャプラの信条だった。その楽天性が、アメリカンドリームと結びつき、キャプラをもっともアメリカ的な映画作家にした。

フランク・キャプラの出世作は、クラーク・ゲーブルをフィーチャーした「ある夜の出来事」だ。この映画はいわゆるロード・ムーヴィーの先駆的傑作としてその後の映画の歴史に大きな影響を及ぼした。

「ある夜の出来事」はコメディ・タッチの作品で、その後のキャプラ映画の雛型になるものだ。そうしたコメディ精神は、続く「オペラ・ハット」や「我が家の楽園」にも引き継がれる。「我が家の楽園」は、キャプラ戦前の代表作であり、戦後に作った「素晴らしき哉人生」とならぶ傑作である。

コメディ・タッチの作品のほかに、シリアスな雰囲気のものも作っている。「失われた地平線」とか「群衆」といった作品はその代表的なものだ。とくに「群衆」は、アメリカ社会を間歇的に襲う宗教リバイバル運動を想起させ、キャプラの社会的な視線を感じさせる作品である。そうした社会的な視線が政治の方面に及ぶと、「スミス都に行く」といった作品を生み出すことになる。これは一政治家の生き方に、アメリカ人気質を集約させたような描き方の作品だった。

キャプラはこれらの映画を通じて、アメリカ人としての理想的な生き方を描き続けた。その一方で、戦時中には一連の戦意高揚映画を作ったりもした。その点はワイラーと同じだが、ワイラーがドラマの形で人々の戦意に訴えたのに対して、フランク・キャプラはドキュメンタリー・タッチの映画を通じて、敵側たる枢軸国の悪辣さとアメリカを含めた連合国側の正義を人々に訴えた。当然、敵国である日本に対しては辛辣で、日本人を、小人のくせに巨人に立ち向かう愚かな生き物として描いている。

フランク・キャプラは、ウィリアム・ワイラーと比較されることが多いが、ワイラーが戦後も大活躍ぶりを見せたのに対して、キャプラは戦後すぐに作った「素晴らしき哉人生」を最後に、あまりぱっとしなくなった。しかし、「素晴らしき哉人生」は、今でも多くのアメリカ人に愛されつづけており、映画史に残る傑作だといってよい。ここでは、そんなフランク・キャプラの代表作を取り上げて、鑑賞しながら、適宜解説・批評を加えたい。


フランク・キャプラ「或る夜の出来事」:ロードムーヴィーの古典

フランク・キャプラ「オペラハット」:田舎者と女記者のラブロマンス


フランク・キャプラ「失はれた地平線」:欧米版桃源郷物語

フランク・キャプラ「我が家の楽園」:底抜けの楽天主義

フランク・キャプラ「スミス都へ行く」:米議会上院の議事を描く

フランク・キャプラ「群衆」:民衆の草の根運動

フランク・キャプラ「毒薬と老嬢」:殺人事件に巻き込まれる新婚カップル

アメリカの参戦:フランク・キャプラの戦意高揚映画

フランク・キャプラ「素晴らしき哉、人生」:善良なアメリカ人



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