壺齋散人の 映画探検
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小林政広「日本の悲劇」:格差社会の負け組を描く



小林政広の2012年の映画「日本の悲劇」は、2010年に起きた高齢者死後の年金不正受給事件に直接のヒントを得たものだ。これは、親の死後も、生きていると見せかけて、年金を不正に受給していたというものだったが、その背景には深刻な貧困問題があった。小林はその貧困問題のほうに焦点を当てて、この映画を作った。その貧困は、小泉政権の新自由主義的な政策のもたらしたものである。その政策は日本社会を勝ち組と負け組に分断した。この映画はその小泉の贈り物というべき負け組の怨念をテーマにしたものである。

映画は、仲代達也演じる老人に焦点を当てながら展開する。この老人は、妻を失ってまもなく、また、自分自身がんで余命いくばくもない。そこへ、妻子に去られた息子がやってきて同居する。息子には生活力がなく、おそらくこの先まともに生きていけないかもしれない。そんなわけで、老人は強いうつ状態に陥った挙句、もう生きるのはやめようと決意する。そんな決意をせずとも、老人はいくばくもなくして死ぬ運命にあるのだが、そこはうつ状態に陥った人間のこと、独特の理屈をこねくりまわして、強いられた死ではなく、自分自身の意思によって死にたいと思うのだ。そして自分の死後は、しばらくそのことを伏せておき、せめて仕事が見つかるまでの間は、年金を受給したらよいと息子に遺言する。

かくして老人は、自分の部屋を封鎖して、そこに閉じこもり、衰弱の果ての死を待つことにするのだ。そんな父親を、息子は最初説得したりするが、そのうちあきらめて、父親の好きなようにさせる。好きなようにといっても、ただただ座して死を待つのみなのだ。その挙句に老人には死が訪れる、といったような内容だ。

映画の見どころは、仲代達也演じる老人が、人生の最後に直面して、自分の生きてきたあとを振り返るところだ。若いころは生きていてよかったと思えることもあった。しかし、年をとって、配偶者を失い、また、一人息子の行く末も心配だ。もう生きている甲斐がない。この世間の片隅にも、自分の居場所がなくなった。そんな絶望感がこの老人を死に向かって駆り立てるのだ。

なんとも気の滅入るような映画である。だが、こんなに人を滅入らせることが、今の日本では珍しくなくなっている。今の日本は、生きる力のある者だけが生きる資格をもち、生きる力のないものは、野垂れ死にするより選択の余地がない。そんな日本社会の無情さを、この映画は告発しているようにも見える。小林政広の映画の中で、もっとも強い社会的視線を感じさせる作品だ。




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