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母なる証明:ポン・ジュノ



ポン・ジュノンの2009年の映画「母なる証明」は、殺人罪で逮捕された息子の無罪を証明しようとする母親の必死の努力を描いたものだ。真犯人は誰か、をテーマとする点では、推理ドラマといってよい。推理ドラマは普通ドライなタッチで描かれるものだが、この映画の場合にはかなりウェットである。というのも、息子を溺愛する母親の、息子への愛が映画を推進する動力になっているからだ。

その息子トジュンは、知的な障害があって、直近のことも思い出せないほどの記憶障害も重なっている。その息子が殺人事件の容疑者として逮捕される。若い女性が鈍器で頭を割られ、廃屋の屋上に放置されていたというものだった。息子は警察に尋問されて、あっさりと有罪を認める自白をするのだが、母親は息子を溺愛するあまりに、息子の無罪を信じてやまない。そこで警察や弁護士に何とか息子の無罪を信じてもらおうとするのだが、誰も信じてはくれない。そこで母親は息子の無罪を証明する証拠集めに狂奔するのだ。

母親はまず息子の親友ジンテに疑いの目を向ける。息子は日頃ジンテと行動を共にしており、事件の直前には、一緒になってゆすり事件を起こしていた。その際には、ゆすりに伴う暴力行為の責任を息子が一身でとらされていたが、じつはジンテが自分の罪を息子になすりつけていたのだ。その経緯は画面でわかりやすく紹介されているので、観客も母親とともにジンテを疑うことになる。そのジンテの家に忍び込んだ母親は、血らしいもののついたゴルフクラブを持ち帰り、それを証拠として警察に見せるのだが、警察は取り合ってくれない。なにしろ本人が自白しているので、有罪は揺るがないというのだ。

雇った弁護士も、裁判が不利になるのは避けられないと思っている。そこで、息子の精神障害を理由に、刑事処分ではなく入院措置ですまそうと提案する。刑事処分なら15年間の懲役だが、入院処置なら4年ですむという理屈だ。だが母親は、息子の無罪を勝ちとることにこだわり続けるのだ。

母親は、事件に深いかかわりがあるという廃品回収の老人にゆきつく。その老人をたずねて話を聞くうち、老人は、息子が若い女性を殺害する現場を見たと言い出す。それに憤慨した母親は、その老人を殺害して、小屋に放火するのだ。

ところが思いがけないことに、真犯人が見つかったと警察から知らされる。殺された若い女性と日頃深い関係にあった男で、これもやはり知的な障害があった。その男が警察の尋問に応じて、自分が犯人だと認めたというのだ。息子が、自白を唯一の証拠として逮捕されたのと同じく、その男も自白を唯一の証拠として逮捕されたのだ。真相を知っている母親は、その男に対して申し訳ないと思うのだが、息子を救うためには、その真相を隠しておかねばならない。それは母親にとっては思い精神的な負担になるものだった。

というわけで、推理ドラマは意外な結末を迎えるというわけだ。その意外性があるために、観客は映画に深く引き込まれるのを感じるに相違ない。母親は、良心の呵責に耐えず、自殺するのではないかと観客に思わせる。実際、映画は母親が自分の体の一部のなにかのツボと思われるところに、鍼を打つシーンで終わるのだ。その鍼はおそらく生命にかかわるツボに打たれたのだろうと思わせながら。

この映画の売りは、息子を溺愛する母親の感情の動きだ。それは息子が真犯人と知った時に最高の高揚を迎える。その高揚が母親を死に向かって駆り立てるのである。ともあれこういうタイプの母親は、程度の差はあるにせよ、日本にもいそうである。だから日本人の観客としてはあまり驚かない。映画の筋書きも、そんなに異常とは思われない。だが欧米人にはかなり異常な愛と映ったようである。

これは余談だが、息子が若い女を殺した理由が面白い。その若い女から、「バカ」と罵られたからだ。かれには「バカ」と言われると逆上する癖があって、その逆上する場面がほかにもいくつか披露される。どの場合も咄嗟的な反応であって、深いワケがあるわけではないとアナウンスされる。そんなわけで、この事件についても、息子は条件反射的に反応しただけで、別に深いわけがあって殺害したのではないということになる。それもまた不気味な話ではあるが。




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