壺齋散人の 映画探検
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大地のうた:サタジット・レイの映画



サタジット・レイの1955年の映画「大地のうた」は、かれにとっての監督デビュー作であり、インド映画を世界に認めさせた作品である。インドがイギリスから独立したのは1947年のことだ。当時のインドは、古い文化的伝統を持っていたにかかわらず、映画はじめ新しい文化の面で世界の注目を浴びることは少なかった。映画に描かれることはあっても、それは外国人制作者にとっての異国としての扱いであり、インド人自身がインド人の生き方を描いたものが注目されることはなかった。サタジット・レイのこの映画は、そんなインド映画を世界の舞台に押し出した記念すべき作品である。

ベンガル地方の農村に暮らすある家族の生き方がテーマである。夫婦とその間に生まれた男女二人の子供が映画の主人公。それにおばさんと呼ばれる老女が同居している。夫は文学的な趣味をもち、宗教的指導者の家柄を継ぐというから、インドのカースト社会では、上層に属するはずなのだが、要領が悪くて先祖ゆずりの財産を失ったばかりか、ろくな仕事につけず、貧困にあえいでいる。にもかかわらず、妻子の生活に深刻な関心を寄せることをせず、妻とその子らは悲惨な生活を強いられる。そのあげくに、おばさんが死ぬのはともかく、上の女の子まで病気で死なしてしまう。医者にきちんとみてもらうだけの金がなかったからだ。夫は長い間音沙汰不明の状態で、久しぶりに帰ってきたら、娘の死を知らされる。そこで自分の父親としての責任に目覚めた父親は、因縁のある土地を捨て、一家を連れて大都会に移り、なんとか人間らしい生きたかをしたいと願う。映画はそんな一家が粗末な馬車に乗って都会をめざすところを映しながら終わるのである。

見どころは、ベンガル地方の田園的な風景の中で、幼い姉弟を中心に繰り広げられる人間関係だ。その人間関係に、我々外国人はインド的なものを感じさせられるのだ。子どもとともに家にとり残された妻は、家にあるものを売って命をつないでいる。それでも成長期の子供たちはいつも飢えている。飢えに迫られて、あるいはおばさんに与えようと思って、付近の農場から果実を盗み取ってくる。その農園は、もともと一家の所有だったのだが、夫が借金のかたに手放したのだった。農場の新たな所有主は、果実を盗まれたことに怒り、苦情を言いにやってくる。それはそれでなんとか言い訳ができたが、娘が他人の装身具を盗んだと言われたときには、さすがに情けなくなって娘を折檻したりもする。娘も思春期を迎え、装身具で身を飾りたいのだ。

そんな娘は弟をかわいがる。一緒に方々を歩き回り、楽しい時間をともに過ごす。そんな折にモンスーンに見舞われ、大雨にあてられたことがもとになって発熱し、そのまま息を引き取ってしまうのだ。娘の死を母親はなかなか受け入れられない。夫が久しぶりに帰ってきた姿をみて、やっと思いのたけをぶつけることが出来るのだ。

そんなに貧困にあえいでいても、布施をすることは忘れない。乞食坊主が布施を求めて門口にやってくると、なけなしの金をはたいて与えるのだ。そこはインド特有の宗教感覚の現れなのだろう。昔の日本にもそういう所はあったと思うが、いまはどこにも見られないのではないか。

貧困が原因で子供が死を余儀なくされるというのはショッキングなことだ。老婆の死もまた貧困がもたらしたものだった。独立したとはいえ、インドではいまだ貧困という亡霊が、方々で人の命を付け狙っている、そんなふうに感じさせる映画である。


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