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アギーレ 神の怒り:ヴェルナー・ヘルツォーク



ヴェルナー・ヘルツォークはヴィム・ヴェンダースとならんでニュー・ジャーマン・シネマの旗手として知られる。1972年の映画「アギーレ 神の怒り」は彼の代表作だ。16世紀の南米を舞台にしたこの映画は、ヨーロッパ人の傲慢さと狂気を描いている。

南米に進出したスペイン人は、インディオたちの伝説に出て来るエルドラド(黄金郷)を本当に実在するものと信じ込み、大規模な探検隊を組織して、山中深く入り込んでゆく。この映画は、そうしたスペイン人たちの欲望と狂気を描いたものだ。彼らの欲望と狂気は、傲慢さによって味付けされ、グロテスクな様相を呈する。しかし、そんな傲慢さが仇となり、自らの身を滅ぼしてしまうと言うのが、この映画のミソだ。現代に生きるヨーロッパ人種は、この映画を通じて謙虚さを学ぶべきだ、とヘルツォークは主張しているかに聞こえる。

大規模な探検隊は、山中でいきづまる。そこで分権隊を派遣して、食料の調達に向かわせる。もし調達できなかったら、探検をあきらめて引き返すつもりだ。

この分権隊は40人で組織され、三台の筏に分乗して川を下る。ところが、ある程度進んだところで、分権隊の内部分裂が起る。副隊長のアギーレがクーデタをおこし、実験を握るのだ。かれは、自分がエルドラドを発見し、そこの皇帝に納まるつもりなのだ。

アギーレはとりあえず身分の高い者を傀儡の隊長にしたて、その男の権威を利用して分遣隊を操ろうとする。しかし分遣隊の周囲には原住民の影が付きまとい、次第にメンバーが殺される。だんだん士気の落ちるメンバーを、アギーレは力づくで支配しようとするが、そんな彼らに疫病が襲ったりして、アギーレはついに一人だけになる。それでもアギーレはあきらめずに、エルドラドの探索を続けるのだ。いまや筏の上でかれの相手をしてくれるのは、途中から飛び乗って来た猿の集団だけなのに。

という具合で、ストーリーは実際にあったことをもとにしているらしい。16世紀はスペイン人が中南米のあちこちを侵略していた時代なので、こんな話にも現実感が伴う。当時は、早い者勝ちだったようで、エルドラドも先に発見したものが権利を獲得することになっていたらしい。アギーレはその慣習をたてにとって、自分がエルドラドの第一発見者として、その土地の皇帝に納まるつもりなのだ。

欲望に目がくらんだアギーレには、エルドラドのことしか頭にない。かれは自分の娘も筏に乗せて伴ってきたのだが、それは娘を妻のかわりにするためだ。そんなアギーレの悪徳ぶりを、映画は神の怒りが体現されたのだと言っている。それをアギーレも自覚していて、俺は神の怒りだと叫ぶのである。

南米の原生林が出て来るが、これはおそらく現地でロケしたのだろう。鮮やかな色彩が印象的だ。



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