壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真西洋哲学 プロフィール掲示板


深作欣二「柳生一族の陰謀」:三代将軍職相続をめぐる暗闘



深作欣二の1978年の映画「柳生一族の陰謀」は、深作にとっては初めての時代劇である。深作が自分で進んで企画したわけではなく、東映の社長大川博からの呼びかけに答えて作った。大川はこれに社運をかけていたといわれ、じっさい、東映のオールキャストといった豪華な俳優陣を配した。一応、徳川三代将軍職の相続争いという体裁をとっているが、史実を無視して、勝手邦題な筋書きになっており、完全なフィクションといってよい。それにしても、あまりにも人を食った話なので、反発が出てもおかしくないところ、空前のヒットとなった。当時の日本人は、史実などどうでもよかったようである。

二代将軍秀忠が急死したことで、三代将軍職をめぐる暗闘が始まる。映画では、秀忠は後継者を決めずに死んだので、二人の息子(家光と忠長)の間で争いが生じたということになっている。その争いに、柳生一族が家光側に加わって、大きな働きをし、その甲斐あって家光が将軍職を射止める、ということにしている。だが、柳生の当主田島のあまりにも陰惨なやりかたに息子の十兵衛が反発し、父親が強く執着した家光の首を切り取り、父親に投げてよこすという行動をする、というような内容である。

史実としては、秀忠が存命中に家光は将軍職についており、また、家光が首を切られたというのも全くのでっちあげである。そのでっち上げをさも史実のように思わせようとするのかというと、どうもそうでもなく、観客の前にこれはでっちあげだと開き直りながら、面白可笑しく話を展開させているといった風情である。

家光は顔に大やけどのあとがあり、また吃音だというふうになっている。吃音だったことは事実のようだが、顔のやけどのことはそうではないようだ。ところがこの映画では、その二つの要素に家光がコンプレックスを持ち、秀忠もそれを理由に家光を疎んじていたということにしている。事実は、家康の計らいがあったにせよ、秀忠が自ら、家光を将軍職につけたのである。

また、家光が死んだのは、春日局ら家光側の人間の毒殺だったということになっているが、これも全く根拠のない虚偽である。家光の首を柳生十兵衛が切り落としたことといい、史実を全く無視した作りごとである。

一つ愛嬌として、出雲の阿国が忠長の恋人として出てきて、忠長の切腹に際して殉死したということになっているが、これも作りごとである。秀忠が死んだころに阿国が生きていたという確証はない。もし生きていたとしても、五十歳にはなっていたはずで、色恋沙汰とは無縁だったはずである。その阿国を、名古屋山三郎が横恋慕する。これも御愛嬌のための作りごとだろう。

忍びの根来衆がそれなりの活躍をするが、これは「忍びの者」の成功に触発された東映側のアイデアだそうだ。




HOME日本映画深作欣二 次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2021
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである