壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真西洋哲学 プロフィール掲示板



熊井啓の映画「日本列島」:日本の対米従属への批判



熊井啓の1965年の映画「日本列島」は、戦後の対米従属を批判的に描いた作品。社会派の巨匠と呼ばれるようになる熊井の初期の傑作である。アメリカは日本を占領してさまざななことをやったが、なかには日本を食い物にして私腹を肥やすやからもいた。そうした不埒な連中に対して、正義の鉄槌を加えようとした男が、かえって返り討ちにあい、殺される理不尽さを描く。

映画の舞台は昭和34年頃ということになっているから、日本は一応独立国家だった。だが実体としては、日本各地に米軍基地があり、事実上の占領状態が続いていた。映画はその時点における米軍基地が全国に255か所あるとアナウンスし、それぞれの基地が日本人住民に塗炭の苦しみを与えながら、日本政府としては何も出来ない実態を批判するメッセージを発している。

そんな中で、一人のアメリカ人が殺される。その死因を不審に思った米軍関係者が捜査に乗り出す。公的な調査ではなく、私的な探索だ。それに米軍基地で通訳を務めている日本人が協力する。宇野重吉演じる中年男だ。この男が、警視庁や新聞社の顔見知りと組んで、事件の真相に迫っていく。

筋書きはかなり錯そうしているのだが、戦後日本を拠点としたアメリカ人の犯罪グループがあって、それが偽造通貨や麻薬取引で莫大な利益をあげていた。殺されたアメリカ人は、どうやらその実体を知ったことで、口封じのために殺されたらしいのだ。

探索がかなり進んだ時点で、さまざまな圧力がかかる。宇野重吉に探索を依頼した米軍人は、依頼を撤回する。本国の意向で、事件が表ざたになることを恐れているようなのだ。その理不尽さに怒った宇野は、引き続き自分の力で事件を解明しようとする。しかし、乗り込んだ先の沖縄で、殺されてしまうのである。

宇野重吉がそこまで事件にこだわったのは、自分自身の妻が米兵によって強姦され、殺された過去があったからだ。その妻と同じような苦しみを、いまでも日本人は舐めさせられている。それに対する怒りが彼に正義の実現をせまるのだ。

宇野重吉の渋い演技が見どころであるが、ストーリー設定にかなりな無理があるおかげで、全体としてすっきりしない仕上げになっている。言いたいことは、米軍の事実上の日本占領が続く中で、日本側の主権がいとも容易に踏みにじられていることへの怒りのようである。主権が踏みにじられるわけであるから、個人としての日本人の命など問題にならない。犬同然の扱いである。そうした卑劣な境遇を強いられた日本人としての怒りが、この映画を突き動かしているような印象を受ける。



HOME日本映画熊井啓次へ








作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2021
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである