壺齋散人の 映画探検
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サラエボの花:民族紛争の傷跡



2007年のボスニア・ヘルツェゴヴィナ映画「サラエボの花」は、ユーゴスラヴィア解体後の民族紛争で生じた人々の心の傷を描いたものだ。この民族紛争では、旧ユーゴの連邦制の維持を目指すセルビア人と、独立をめざすボスニア人、クロアチア人が鋭く対立したが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナには、ボスニア人、セルビア人、クロアチア人が共存したいたこともあって、民族間の対立はきわめて先鋭な形をとった。その過程で大勢の人々が悲惨な目にあったわけで、映画はそうした悲惨な人々が蒙った心の傷跡を描いている。

主人公はボスニア人の母子である。母は女一人で娘を育てるのが大変で、昼間の他、夜も働いている。仕事はキャバレーのウェイトレスである。それで働いた金で、とりあえずは娘の修学旅行の費用を作りたいと願っている。そのキャバレーの縁で、一人の男と知り合いになる。その男は、父親の遺体を探しに行った墓場で偶然彼女を見かけていたのだ。彼女も又自分の父親の遺体を探しに行っていたのだった。そこで同じような境遇の二人は、互いに惹かれあう。

一方娘のほうは、自分の父親はセルビア人との戦いで戦死した英雄だと信じている。母親がそう聞かせてきたからだ。そんな折、学校で、父親がボスニアの戦士(シャヒード)だったものは、修学旅行の費用を免除されると聞く。そこで娘は母親に、父親が戦士だった証明書を貰ってほしいとねだる。しかし母親はなかなか言うことを聞いてくれない。

そうこうしているうちに、他の子どもたちは修学旅行の費用が免除されるのに、自分だけが免除されないばかりか、そのことを旧友たちからからかわれて、娘は逆上する。そのあげく、男友達からあずかった拳銃を母親に向けて、戦死の証明を貰ってくるよう、脅したりする。そんな娘を見て母親も逆上し、つい娘の出生の真相を話してしまう。自分はセルビア人民兵(チェトニク)に連日のようにレープされ、その結果お前を不本意に妊娠してしまったのだと。それを聞いた娘はショックをうける。

ただ、これだけの話なのだが、母と娘が狭い空間の中に向き合い、互いに心で叫びあっているようなところを見せられると、人間と言うものの悲しさがひしひしと伝わって来る。とりわけ、娘のほうは、普通そんなことを聞かされるとぐれてしまうものだが、この映画の娘は、母親の運命に深い同情を感じたらしく、自らの髪を剃ったうえに、母親に対して従順な態度をとるようになる。そこのところが唯一の救いになっているわけだが、あまりにも出来すぎという印象も否めない。

この映画の中では、母親をレープしたチェトニクを始め、セルビア人側は表には出てこない。これらはボスニア人の心のなかで、マイナスイメージながらも、こっそりと生きていることになっている。それにしても、こういうタイプの映画は、民族同士の憎しみあいを改めて煽るような効果もあるわけで、作り方がなかなかむつかしいと思う。この映画は、その難しさを十分考えたうえで、人間の心の傷に向かい合っているように見える。




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