壺齋散人の 映画探検 |
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新藤兼人の1981年の映画「北斎漫画」は、葛飾北斎の生涯を描いたものだ。画家としての北斎の全盛期よりは、駆け出しの時代と最晩年期に焦点を当てている。この頃の浮世絵師は、春画で稼いでいたようで、北斎も例外ではない。その春画をこの映画は漫画と言いたいようだが、北斎自身が出版した「北斎漫画」では、春画はほとんど見られない。その春画のうちでも最も有名なのが、女が巨大な蛸と戯れている図柄だが、その図柄のモデルになった女を、まだ若々しい樋口可南子が演じている。一方北斎は緒形拳が、北斎の娘お栄を田中裕子が演じている。その田中裕子演じるお栄は、夏の厚さに裸で寝ているが、その姿が小娘のように見える。田中裕子はこの時もう二十六歳になっていたはずだ。 北斎は晩年にも春画を描くようになった。例の蛸の図柄は八十九歳の時に描いたということになっている。しかし春画や富岳の絵では満足できず、西洋画を学び直して、全く新しい画境を開きたいものだとの抱負を抱く。しかしもはや八十九歳になった北斎には、学び直す暇はない。彼は抱負を果たすことなく、娘お栄の見ている前で息を引き取るのである。そのお栄は、父親を見とる直前に、北斎の親友馬琴の死をも看取っている。 北斎と馬琴との間に交友があったのは事実だ。北斎は馬琴の読本の為に挿絵を描いていた。そうした両者の関係を拡大して、この二人は無二の親友であるばかりか、歌麿、十返舎一九、式亭三馬といった連中も北斎と交友があったということにしている。それが事実かどうか。ちなみに北斎は西暦1760年生まれ、馬琴は1767年、一九は1765年、三馬は1776年、歌麿は1753年の生まれだから、かれらが互いに付き合っていたとしてもおかしくはない。 前半で夜鷹くずれを演じていた樋口可南子が後半で別の女として出て来て蛸と戯れる。その蛸は、北斎が浜辺の海女から譲り受けて持ち帰り、樋口を裸にして、その股間に這わせながら樋口のもだえるさまをスケッチするというわけである。こうしたエロティックな場面がこの映画には多数登場する。そのたびに樋口が豊満な裸体を披露するというわけで、この映画は気の利いたポルノ映画といってもよい。 |
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