壺齋散人の 映画探検
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家路:マノエル・ド・オリベイラ



ポルトガル出身の映画監督マノエル・ド・オリベイラは、二十台で監督デビューしたものの、本格的に映画作りをするようになったのは七十歳以降だという変わり種である。老いてなお映画の情熱を失わなかったのは、日本の新藤兼人と似ているが、新藤の場合には若い頃から百歳になるまで、絶え間なく映画作りをしたのに対して、オリベイラの場合には、七十を過ぎてから旺盛な映画作りを始めたという違いがある。

2001年に作った「家路(Je rentre à la maison)」は、そんなオリベイラが93歳の時の作品である。ポルトガル・フランスの協同制作ということになっているが、事実上フランス映画といってよい。主な俳優はフランス人だし、言葉もフランス語だ。俳優にはカトリーヌ・ドヌーヴもちらりとではあるが出て来る。

テーマは老俳優の日常だ。筋らしいものはなく、老俳優の生きざまが淡々と描かれる。俳優であるから、演劇の場面も出て来る。というよりその演劇の場面が、この映画の実質の大部分を占める。スタートはどうやらリア王をもじった時代劇の舞台が映されることだし、そのほかにも十二夜の舞台とか、ジョイスのユリシーズのテレビ映画撮影現場が映し出されたりする。老俳優の私生活で唯一変化があるのは、妻と娘夫婦が交通事故で死ぬことだが、これもたんに背景情報としてアナウンスされるだけで、映画にドラマチックな影響を及ぼすことはない。映画を成り立たせているのは、老俳優の舞台での演技なのだ。

その演技の映し方も、舞台でのやりとりを淡々と映し出すだけで、ドラマチックな要素はほとんどない。だいたいオリベイラという監督は、映画におけるドラマチックな要素にはほとんど無頓着で、人間の日常を丁寧に描きだすという特徴がある。この映画にもそうした特徴がいかんなく発揮されているということらしい。

最大の見どころは、エンディングとなるテレビ映画撮影の場面。老俳優は、自分の演技について信念をもっており、その信念にあわない役はしないというポリシーがあるのだが、どうもそのポリシーに反するような役を引き受けてしまった。そこで意に沿わない気持ちのまま撮影現場に臨むのだが、そのうち自分の演技に嫌気がさしてきて、ついには役から降りてしまう。その時に、「わたしは家に帰る(Je rentre à la maison)」と叫ぶのだが、その言葉がこの映画の原題となるのである。

パリの重厚な街並みが映し出される。なぜかシャイヨー宮が重ね重ね写し出される。またおそらく郊外だと思われる雑な通りで、老俳優が追いはぎに襲われるシーンがあるが、追いはぎはどうも外国人のようである。その追いはぎを含めて、パリの治安の悪さが印象的に映った。夜の一人歩きは危険だということか。

なおこの老俳優は、カフェで新聞を読むのが日課のようだが、かれが読んでいる新聞はリベラションである。もう一人カフェで新聞を読んでいる紳士が出て来るが、それはフィガロである。その対比が面白い。だからオリベイラはわざわざかれらの読んでいる新聞を目立つように写しだしているわけだ。




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